【菅楯彦旧宅周辺図】画:内田稲葉/所蔵★関西大学
http://www.kansai-u.ac.jp/naniwa-osaka/osaka-toshi/doc_uchida.html
内田稲葉(1900~1983)が描いた菅楯彦旧宅の周辺地図。楯彦は1920 年(大正9)から大阪市南区天王寺常盤通(現★大阪市阿倍野区松崎町)に住んでいました。いつごろ描かれたものか具体的には不明ですが、記載されている内容から昭和30年代頃とみられます。右上に「菅画伯宅道順」とあり、楯彦の旧宅への道順を赤色の線で示すとともに、楯彦の自宅には「菅」の印が捺されています。作者の内田稲葉は鳥取県生まれ。生田花朝らとともに楯彦に師事しました。
《大阪都市遺産研究センター》
http://www.kansai-u.ac.jp/Museum/osaka-toshi/index.html
関西大学博物館と文学研究科では、平成22年度、文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業に「大阪都市遺産の史的検証と継承・発展・発信を目指す総合的研究拠点の形成」プログラムを申請し、採択され、2010年4月、「大阪都市遺産研究センター」を設立いたしました。2015年3月まで★5ヵ年間の事業を展開いたします。「大阪都市遺産研究センター」は、さきに私立大学学術研究高度化推進事業の推進拠点として事業を展開した「なにわ・大阪文化遺産学研究センター」(平成17年度~21年度)の成果を受け継ぎながら、大阪の文化と歴史を主題として「大阪の都市遺産を史的に検証し、その継承と発展をめざす」ものです。
江戸時代に「商都」・「水都」とされた大阪が、明治維新後の工業都市化、「大大阪」の時代、空襲による壊滅、戦後の復興と高度成長期における変貌をへるなかで、どのような景観変遷を経験しているかを、マクロとミクロの両視点で解き明かします。あわせて、CG映像を制作し、都市遺産アーカイブズの構築もめざします。研究拠点「大阪都市遺産研究センター」は、関西大学博物館に隣接しています。
【名誉市民】
1962年(昭和37)菅楯彦さんは、大阪の「名誉市民」第一号の栄誉を受けられた、ということで調べましたが「市民表彰」しか検索できませんでした。
《大阪市市民表彰》
http://www.city.osaka.lg.jp/seisakukikakushitsu/page/0000103099.html
大阪市では、公益の増進、産業の振興、学術、文化の向上発展などに貢献し、顕著な功績のあった方、又は市民の模範となるすぐれた善行のあった方を広く市民に顕彰することを目的に「市民表彰」を実施しています。
★第50回大阪市市民表彰
表彰式を2015年(平成27)10月29日(木曜日)午前9時20分より「THE GARDEN ORIENTAL OSAKA(もと★大阪市公館)」にて行いました。2015年は、「文化功労部門」の★今くるよさんをはじめ計63名を表彰しました。
・・・大阪市表彰規則(昭和53年規則121号)施行なので、「名誉市民」というのはそれ以前の名称なのか別規則があるのか、わかりません。ということで「大阪市」に問い合わせ中です。
《もと大阪市公館について》
534-0026大阪市都島区網島町10-35/06-6353-8860
http://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/page/0000262294.html
もと大阪市公館が建つこの地一帯は、藤田伝三郎男爵が明治から大正初めにかけて人々に網島御殿と呼ばれた邸宅を構えた場所です。網島御殿は本邸(現在の藤田美術館)・東邸(現在の太閤園)・西邸(現在の当館の敷地)と三つの建物があり、昭和18年に西邸部分は大阪市の所有となり市立実業会館として利用されていましたが、建物自体は不幸にも昭和20年に戦災により焼失し、その跡地に竹腰健造氏の設計による当館が建造されることになりました。本館には、★菅楯彦の「祭り」、生田花朝の「なんばの綱引」、青木大乗の「モンブラン」、幸松春浦の「林間秋譜」などが掲げられていました。また、一階のレセプションホールには、大阪城に関する写真、絵図、資料、鯱、天守閣模型などが展示されていました。
昭和34年秋に第5回日米市長及び商工会議所会頭会議が大阪で開催されるのを機に、迎賓館として建造されました。本館、庭園を含めた14,122m2の敷地は、桜之宮公園に隣接し、庭園からは、造幣局の桜並木や天神祭の船渡御をはじめ、四季折々の風情のある大川を望むことができます。これまでに、APEC(アジア太平洋経済協力会議)大阪会議の際の二国間首脳会談をはじめ、姉妹都市歓迎レセプションや大阪市民表彰式を開催するなど、国内外を問わず賓客をお迎えし、各種式典、会議、懇談会および表彰式の場として利用してきました。このたび、大阪市公館の活用方策について、戦略会議などで検討を行い、新たに「水辺の魅力拠点」として民間活用するため、事業者を募集、選定し、平成26年4月1日から10年間の賃貸借契約を結びました。
《ザガーデンオリエンタル大阪》
http://www.gardenoriental.com/wedding/#first-resevation-tab04
・・・表彰式会場となった「もと大阪市公館」の本館に菅楯彦さんの作品が飾られていたなんて、偶然ですね。
【大阪市立住まいのミュージアム】
「大阪くらしの今昔館」/06-6242-1170
530-0041大阪市北区天神橋6丁目4-20住まい情報センタービル8階
大阪くらしの今昔館は、「住まい」をテーマとした日本初の専門博物館である。高度な学術性を踏まえ、市民の目線に立って歴史を読み解き、見せる展示を超えた「体感する」展示を目的とし、「住まいと暮らし」の情報交流拠点としての集客型ミュージアムを基本理念としている。1990年に「大阪市内の住宅に関する情報サービスや相談、さらに新しい住まいや大阪の都市居住の歴史などについても知ることができる総合的な住情報拠点」として、現在の「住まい情報センター」の構想が位置づけられた。1999年11月に大阪市立住まいの情報センターが開設され、1年半後の2001年4月に大阪市立住まいのミュージアムが誕生した。大阪の都市居住の歴史を楽しく学ぶ中核施設、また「住む町・大阪」に対する愛着とイメージアップを図る住情報の拠点として、住まい情報センターの活動の一翼を担っている。2002年4月には、愛称として「大阪くらしの今昔館」が決定した。
●2011年(平成23)4月23日(土)~5月29日(日)
「なにわの遊・楽―芝居・祭り・花暦―」
江戸時代、天下の台所として繁栄したなにわでは町人の間に豊かな生活文化が展開されました。市中各所での年中行事、四季折々に名所旧跡を訪ねる遊山、道頓堀の芝居、そして十日戎や天神祭りに代表される華やかな祭り。庶民から豪商に至るまで、なにわの人々は様々な遊楽を謳歌しました。 本企画展は大坂の居住文化の歴史と魅力を紹介する当館開館10年の節目の展覧会として、なにわの遊楽を美しい錦絵や風俗画、草紙の挿絵などを通して紹介します。本展では当館の役者絵コレクションの中から上方の人気役者―四代目中村歌右衛門、三代目嵐璃覚―の他、江戸から上方芝居へ出演して人気を博した五代目市川海老蔵、三代目尾上菊五郎などの錦絵を展示するとともに、芝居街道頓堀の賑わいと変遷を風俗画で辿ります。また、近代の大阪画壇で活躍した★菅楯彦「住吉御田」、生田花朝「十日戎」、「天神祭」など、大阪の三大祭りの大作を一堂に会して公開します。この他、年中行事や名所の風景などを前期後期合わせておよそ100点余りを展示し、なにわに花開いた庶民文化の粋をご鑑賞いただきます。
●2013年(平成25)4月20日(土)~5月26日(日)
「なにわユーモア画譜―関西大学所蔵大坂画壇コレクションを中心に―」
http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/toshiseibi/0000209785.html
大阪では江戸時代から明治・大正・昭和初期にかけて「大坂画壇」といわれる画家たちが優れた作品を数多く制作しました。本展覧会では、★関西大学図書館が所蔵する「大坂画壇コレクション」の中から、大阪らしく滑稽でユーモアに富んだ作品を中心に約70点の作品を展示します。近世の画家では、滑稽で風刺あふれる戯画で知られた耳鳥斎(にちょうさい)、貴族や豪商など富裕層から一般庶民に至るまで幅広い層に受容され、華やかな風俗画を制作した月岡派、近代では浪華の女性情緒を描いた北野恒富、大阪の下町の風俗や年中行事を描き続けた★菅楯彦など、多彩な構成で大坂画壇の魅力に迫ります。