博物場(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「ミュージアム」についてのプログを続けてきて、やはり大阪のミュージアムの原点を調べなければと思っています。昔々のことになので、どこまで辿れるかわかりませんが、新テーマ「博物場」を始めます。

【大坂奉行所】

幕府直轄地の大坂は、東西の奉行所が設置され、江戸町奉行と同様に東西1ヶ月ごとの月番制を取った。初名は大坂郡代。老中支配下で大坂三郷及び摂津・河内国の支配警察・司法・行政を目的としていた。元和(1619)に久貝正俊(東町奉行)・嶋田直時(西町奉行)がそれぞれ役高3000石をもって任じられたのが始まりとされている。定員は東西それぞれ1名ずつであるが、元禄年間に堺町奉行を兼務する3人目の奉行が設置された時期もあったが、短期間で終わっている。1000-3000石程度の旗本から選任されることになっていたが、300石からの抜擢例も存在する。奉行には役高1500石及び役料600石(現米支給)が与えられ、従五位下に叙任されるのが慣例であった。奉行所は元々は東西ともに大坂城北西の出入口である京橋口の門外に設置されていたが、享保9年(1724年)の大火で両奉行所ともに焼失した教訓から、東町奉行所は京橋口に再建(現★大阪合同庁舎1号館され、西町奉行所は本町橋東詰の内本町橋詰町(現★マイドーム・おおさかに移転された。また、時代が下るにつれて糸割符仲間や蔵屋敷などの監督など、大坂経済関連の業務や幕府領となった兵庫・西宮の民政、摂津・河内・和泉・播磨における幕府領における年貢徴収及び公事取扱(享保7年(1722年)以後)など、その職務権限は拡大されることとなった。


はくぶ1


■1958「大阪合同庁舎第1号館」(東町奉行所跡)

540-8535大阪市中央区大手前1-5-44

http://www.soumu.go.jp/soutsu/kinki/intro/guide/barrierfree.html

近畿農政局、近畿経済産業局、近畿地方整備局、近畿総合通信局などが入る。本館の他に第一別館、第二別館、新館がある


はくぶ2


1967マイドームおおさか」(西町奉行所跡)

540-0029 大阪市中央区本町橋2-506-6947-4321

http://www.mydome.jp/mydomeosaka/

「東横堀川(大坂城惣構堀)」本町橋の東側一帯が西町奉行所跡である。現在はマイドームおおさか・商工会議所・ホテルが建っている。マイドームおおさかの正面と駐車場入口につの碑と説明板がある。もちろん遺構など無いが、マイドームおおさか建設時の発掘調査において、奉行所跡や大坂城惣構跡が発掘されている。


はくぶ3


【碑文】「大坂城惣構跡 西町奉行所跡 史跡 大阪府庁跡(初代)

文禄年(1594)豊臣秀吉は 大坂城と城下町を大きく取り囲む 延長キロメートルに及び城壁を築いた これは大坂城惣構と呼ばれ 町を防御し城の守りを更に固めるために作られた軍事施設で 小田原城や伊丹城など ごく一部の城にしか見られない珍しいものである 昭和6012月 当地を発掘調査した結果 地下メートルのところから溝で囲まれた建物や広場がみつかり 惣構の一部が砦になっていたことがわかった この惣構に沿う東横堀川に本町橋がかっている上でとりわけ重要な場所とされ 慶長19年(1614) 大坂冬の陣において豊臣方の侍大将塙団右衛門が この橋を渡って徳川方に夜討ちをかけたことで有名である 江戸時代になると 大坂は幕府が直接支配するところとなり ここには浜の御蔵と呼ばれる米蔵や代官所が建てられた やがて大坂城で使う味噌を醸造するところとなり 春屋(大豆を細かくつぶす所) 麹室(発酵をさせる所) 土蔵(味噌を貯蔵する所)などが設けられたこれらを御塩噌蔵とよんだ。 享保年(1724)には 妙知焼といわれる大火により このあたりはすべて灰燼に帰した この焼け跡に移ってきたの 西町奉行所(敷地は9600平方メートルに及ぶ)である 明治になると大阪鎮台営所(軍司令部) 大阪裁判所として使用されたが すぐに初代大阪府庁となり 庁舎は奉行所の建物がそのままつかわれた 明治年になると大阪府庁は西区江の子島に移転  更に大正15年 東区大手前之町に移され現在に至っている なお当地は初代大阪府庁跡として 昭和4520日 大阪府文化財保護条例により 史跡第号に指定された 昭和62月大阪府教育委員会

★「西町奉行所跡(駐車場側石碑側面)」

西町奉行所は 享保九年(1724)からこの地におかれ 庶民との関係が深かった 明治時代には市内随一の楽園大阪博物場がここに設けられた


はくぶ4


大坂西奉行所図江戸時代19世紀)所蔵:神戸市立博物館

http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/meihin_new/121-1.html

神戸市立博物館では神戸市域も含む畿内及び西国一帯の支配を担った大坂町奉行所に関連する資料も収蔵している。この文書群は二度にわたって大坂町奉行を勤めたほか、新潟奉行や堺奉行、長崎奉行など江戸幕府の要職を歴任した川村就修が役目を通じて収集したもの。川村家は代将軍徳川吉宗が創設した将軍直属の隠密・御庭番の家筋で、幕末には海防政策にも深く関与している。最初の大坂町奉行在任時の嘉永年(1854)には、ロシア艦船による大阪湾侵入事件が起こっており、その関連資料も少なくない。なかでも奉行所の下で治安維持や諜報活動に従事した大坂の非人組織のトップである長吏善次郎が作成した、この事件に関する風聞書が含まれている点は、大坂町奉行の政治的機能を考える上で興味深い。これは大坂西町奉行所の間取り図。川村修就は嘉永年(1854)に西町奉行に就任しており、その頃に作成・入手されたものであろう。


はくぶ5


・・・「西町奉行所跡」は「初代大阪府庁舎」として用いられ、その後「博物場」が建てられたということがわかりました。碑にも「楽園大阪博物場」と表現されており、ますます調べ甲斐があります。


【参考資料一覧】

『東区史第一巻』大日本大阪博物場図(明治22年)府立大阪博物場案内図(明治36年)

大阪商品陳列所報告第壱号(明治23年)

『府立大阪商品陳列所十年紀要』府立大阪商品陳列所平面図(明治34年)

『大阪市天王寺動物園70年史』明治大正大阪百景(大正初寫本町博物場暉月)三幸蔵

『回顧三十年』(新)大阪商品陳列所大阪商品陳列所広告館・発明館など

『大阪府立商品陳列所落成記念展覧会報告』落成記念展覧会出品配置略図

『最近十年間の大阪府立商品陳列所』本所敷地建物附近との関係図(部分)

『府立大阪博物場所蔵品目録第一巻』府立大阪博物場西門