【坂本和之】
1943東京生まれ。カネボウ顧問後、
1971渡仏、三洋商会、ユニチカなとの顧問のかたわら制作活動を開始
1974ベルギーオステンドコンテンボラリーアート銅賞受賞
1974イタリア・ミラノに於て個展開催
1977帰国後、企業集団プレーンカズ設立、衣料・アクセサリーなどファッション全般の総台プロデュースを手がける
1987より奈良県東吉野村・狭戸にアトリエ
1992同東吉野村・木津川に自身のアトリエ&ギャラリーを開設、自然と向き奇いながら刺作活動を行っている
1991商社マルカイコーポレーションのオフィス改造
1995ロスアンゼルス(U.S.A.)のオリエンタルマーケット「マルカイフォ一ラム」の設計と総合プロデュース担当。自然とかかわりのある空間、自然のぬくもりを味わえる環境創造をテーマにマーケット、店舗、オフィス、美術館、医院、居宅などの設計を続けている。
1997大阪西区にアート&アンテックギャラリー「屋」(YA)をオープン。身近に芸術を楽しんで心豊かな発想を持ち、芸術と心のネットワーク創造に新しい出合いを待つ。
※東吉野村・木津川アトリエ&ギャラリー
563-2432奈良県東吉野村木津川579/0746-42-0488
木々の葉音、川のせせらぎ、通り抜ける風、野に咲く可憐な草花、自然の大いなる息吹のもと、芸術に触れ、地の豊かな食を味わうことができる。
【参考】もみじ(紅葉)とカエデ(楓)
植物分類上ではカエデとモミジは区別はしません。植物学的にはモミジもカエデも「カエデ」と言い、どちらも分類上カエデ科のカエデ属の植物です。モミジという科や属はありません。一般的にはカエデの仲間の特にきれいな仲間(子どもの手のような葉の形のもの)をモミジと区別して呼んでいます。又、園芸上や盆栽の世界では葉の切れこみ数、切れこみ具合によって明確に区別しています。イロハモミジ、ヤマモミジ、オオモミジなど葉が5つ以上に切れ込んで掌状のものをモミジと呼び、それ以外のトウカエデ(切れ込みが3つのもの)などをカエデと呼んでいます。カエデの語源は★「蛙の手→かえるで」から転じたという説が一般的です。
モミジの語源は微妙な違いでいろいろあります。
「もみじ」は揉(も)んで染め出す紅色「もみ」が語源。動詞「もみづ」は紅葉すること。
「紅葉(もみじ)」の語源は、紅花から染料を「揉(も)み」出す様子(紅花を細かく優しく揉むと紅や黄色に変化する)から、「もみ」が「紅」を指すようになり、楓の紅葉もこの紅花から染料を抽出するときの色の変化の様子と類似しているので、「もみずる」が「紅葉(もみ)ずる」さらに名詞化して「もみじ」になったとする説。
中国に日本のカエデと良く似たのにマンサク科の「フウ」と言うのがあります。それを漢字で「楓」と書きます。日本人の誰かが「カエデ」と中国の「楓」とを同一視し、カエデに楓という字を宛てたのが間違いの元になりました。中国ではカエデ科のカエデは「槭」と言う字を書きます。
●もみじまんじゅう/広島県の県の花(?)にもなっている紅葉を形取って作られたものです。昔漫才のB&Bが広めて今では有名になりましたが、これのルーツは明治時代に★伊藤博文が宮島を訪れたとき、茶屋の娘の可愛い手を見て「紅葉の形をした菓子を、焼いて食べたらおいしかろう」と言ったことが、もみじまんじゅうの始まりと言われています。
●メープルシロップ/カナダ産のカエデの樹液から取ったものにメープルシロップがあります。
●もみじ狩り/秋の深まりとともに野山では紅葉(コウヨウ)が始まり、この時期の行楽として外せないものの一つが“もみじ狩り”です。古来日本では、万葉集の時代から紅葉の美しさを愛でて野遊びをする習慣があり、平安時代には『源氏物語』の中にもあでやかなもみじ狩りのシーンが登場します。澄んだ秋空のもと、美しい紅葉を眺めるのはすがすがしいものです。
・・・「大自然」「木造校舎」「現代アート」、まさしく三拍子そろった素敵なミュージアムでした。