続大学ミュージアム(54) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「静嘉堂」と同じ世田谷区(二子玉川)に「タマビ」もあります。

◆「二子玉川」

「東急大井町線は、品川・大田・目黒・世田谷の各区の住宅密集地を走っている。また、東横線と接続する自由が丘や田園都市線と接続する二子玉川駅周辺は「住みたい街ランキング」の上位に顔を出すこともあるほどの人気がある

世田谷区の南西に位置し、北に緩やかな丘陵、南に多摩川を抱える区域で比較的緑が多く自然環境が残されている。そこに住宅地を中心とした街が形成されているが、二子玉川駅近辺は玉川高島屋S・Cを初めとした商業施設が建ち並んでいる。さらに近年では駅の東側を中心に再開発が進められ、2011年には大型商業施設である二子玉川ライズショッピングセンターが開業するなど、賑わいを見せている。現在も再開発は進行中である。今後、映画館などができる予定である。「フタコ」、「ニコタマ」という愛称で呼ばれることもある。二子玉川の街は元々、江戸時代にこの地に存在した渡し船(「二子の渡し」)により地域一体が栄えた事に始まり、後に世田谷随一の歓楽街、東京有数の行楽地へと変貌していったという歴史を持つ。現在では下北沢、三軒茶屋と並び、世田谷区の「広域生活拠点」に位置づけられており、比較的豊かな自然環境をベースに住宅街及び商業地帯を発展させた区域として成長している。なお、毎年月に開催される大規模花火大会(通称「二子玉川花火大会」)も、この地域では風物詩の一つとなっている。


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■「二子玉川ライズ

http://www.rise.sc/


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◆【五島美術館】◆

158-8510東京都世田谷区上野毛3-9-2503-5777-8600

http://www.gotoh-museum.or.jp/index.html

五島美術館は、昭和35年(1960)月18日に私立(財団法人)の美術館として、東京都世田谷区上野毛に開館しました。美術館設立の構想は、東京急行電鉄株式会社の元会長五島慶太(18821959)によるものです。慶太翁は鉄道事業のかたわら、半生をかけて古写経をはじめとする貴重な美術品の数々を蒐集しました。自らの所蔵品を広く公開する美術館の設立は慶太翁の宿願であり、精力的にその準備を進めていきましたが、開館を目前にして完成した姿を目にすることなく世を去りました。この美術館設立を機に、東京都目黒区にあった大東急記念文庫が五島美術館の建物内に移転しました。同文庫は昭和23年(1948)に当時の東京急行電鉄株式会社を東京急行電鉄・京浜急行電鉄・京王帝都電鉄・小田急電鉄・東横百貨店の五社に分離・再編成する記念事業として企図され、昭和24年(1949)月20日に開庫したもので、慶太翁が一括購入した久原文庫と井上通泰氏の蔵書を発足時の根幹としています。以後現在にいたるまで、研究者を対象とした閲覧公開などの教育・研究活動を続けています。開館後の五島美術館は、大東急記念文庫とともに数々の名品を所蔵する文化施設として展覧会を中心に幅広い活動を展開してきました。平成22年(2010)には開館50周年を迎え、これを記念して本館建物を改修いたしました。また平成23年月1日、五島美術館と大東急記念文庫は合併し、翌24年月1日からは公益財団法人として認可を受け、次の半世紀へ向けて新たな装いで歩みをはじめています。


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【参考】国宝「源氏物語絵巻」「紫式部日記

平安時代の11世紀、関白藤原道長の娘である中宮彰子に仕えた女房紫式部(生歿年未詳)は、『源氏物語』を著し、主人公光源氏の生涯を軸に平安時代の貴族の世界を描いた。「源氏物語絵巻」は、この『源氏物語』を絵画化した絵巻で、物語が成立してから約150年後の12世紀に誕生した、現存する日本の絵巻の中で最も古い作品である。『源氏物語』54帖の各帖より1-3場面を選び絵画化し、その絵に対応する物語本文を書写した「詞書」を各図の前に添え、「詞書」と「絵」を交互に繰り返す形式の、当初は十巻程度の絵巻であった。現在は54帖全体の約4分の1、巻数にすると四巻分が現存する。江戸時代初期に、三巻強が尾張徳川家に、一巻弱が阿波蜂須賀家に伝来していたことがわかっているが、それ以前の古い伝来は不明。徳川家本は現在、愛知・徳川美術館が所蔵。蜂須賀家本は江戸時代末期に民間に流出、現在、五島美術館が所蔵する(「鈴虫」2場面、「夕霧」、「御法」の三帖分)。両方とも昭和7年(1932)、保存上の配慮から詞書と絵を切り離し、巻物の状態から桐箱製の額装に改めた。「詞書」も「絵」も作者は不明。「詞書」の書風の違いから、五つのグループによる分担制作か。「絵」の筆者を平安時代の優れた宮廷画家であった藤原隆能(?-1126-74?)と伝えるところから、本絵巻を「隆能源氏」とも呼ぶ(五島美術館所蔵「国宝源氏物語絵巻」は、毎年春のゴールデンウィークの頃に1週間程度展示の予定)。

『紫式部日記』は、『源氏物語』の著者紫式部(生歿年未詳)が、平安時代、寛弘5年(1008)7月から同7年(1010)正月までの約1年半の間に書き遺した日記。藤原道長の娘であり一条天皇の中宮であった彰子に仕えた紫式部が、彰子の二度の皇子出産とその祝賀の華やかな様子を中心に、当時の権力者道長をめぐる様々な平安貴族の様子を生きいきと描き出した日記文学の傑作である。「紫式部日記絵巻」は、それを約250年後の鎌倉時代前期に絵巻にした作品。もとは全十巻程度の巻物であった。江戸時代以前の伝来は不明。現在はその約4分の1にあたる四巻分が伝わり、五島美術館のほか、大阪・藤田美術館、東京国立博物館、個人コレクターが所蔵する。詞書の筆者を鎌倉時代の能書家後京極良経(1169-1206)、絵の筆者を鎌倉時代の絵師藤原信実(?-1233 -1266-?)と伝えるが、詳細は不明。五島美術館が所蔵する三段分は、大正9年(1920)に名古屋の森川勘一郎(1887-1980)が発見した巻子本(全五段)の内の第一・二・四段目にあたる。昭和7年(1932)、益田鈍翁(1847-1938)が購入する際に第五段目を切断、森川家に残し(現在、個人蔵)、さらに翌年、鈍翁は第三段目を切り離し掛軸に改装(現在、東京国立博物館蔵)、残りの三段分はその翌年額装となり、戦後、高梨家を経て五島美術館が所蔵することとなった(五島美術館所蔵「国宝紫式部日記絵巻」は、毎年秋に1週間程度展示の予定)。

・・・残念ながら時間が早く、まだ開館してませんでした。


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◆「多摩美術大学」(本部・大学院・美術学部・造形表現学部)

158-8558東京都世田谷区上野毛3-15-3403-3702-1141

http://www.tamabi.ac.jp/index_j.htm

多摩美術大学は2015年に創立80周年を迎えます。本学の前身、多摩帝国美術学校より脈々と流れる「自由の精神」と、これを獲得するための「意力」を尊重し、先進の美術教育を目指してきました。転換期においては、過去と現在を俯瞰しつつ、未来を思索しなければなりません。80周年をその契機としたいと思います。

・・・受付でお聞きすると、現在、特に展示等はやっていないということでしたが、少しキャンパスを散策させていただきました。


たまひ5


■「上野毛キャンパス

http://www.tamabi.ac.jp/prof/facilities/kaminoge.htm

歴史は、多摩美術大学の前身である多摩帝国美術学校の校舎が建設された1935年に始まりました。当時、田園風景のなかに建つ新校舎は、まさに美術学校らしい斬新でモダンな姿を見せていたといわれます。しかし1944年、校舎は第二次世界大戦によって海軍技術研究所に接収され、翌5月24日の空襲により焼失してしまいます。終戦後の1946年、川崎市溝ノ口の元軍需工場の建物を借用して授業を再開した当時、学生総数は30名でした。1950年、建築科講師と数人の卒業生が参加し、校舎の再建計画が開始されました。1952年に木造校舎が再建、翌年には講堂に着工、1960年には木造だった本館はコンクリート造りの新本館へと変わり、現在にいたっています。現在でも上野毛キャンパスの象徴となっている本館のファサード壁面の鉄板レリーフは、その際に彫刻科笠置季男教授の、講堂の環状8号線側壁面のレリーフは彫刻科建畠覚造教授の手により制作されました。さらに1966年に、木造校舎2棟が撤去され、現在の2号館が竣工しました。1974年の美術学部の八王子キャンパス移転完了まで、大学院、美術学部の授業はすべて上野毛キャンパスで行われていました。1989年、美術学部二部が上野毛キャンパスに開設され、新たに最新の設備機器が導入されるとともにフィルムおよびVTRの映像・録音・編集施設を備えた3号館が竣工し、現在の上野毛キャンパスの主要施設が完成しました。