夏ミュージアム(8) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「夏休み」は終わってしまいましたが、私の故郷「平野」に楽しいスポットを発見しましたので、孫といっしょに早速行ってきました。

◆「森野サンプル」

547-0001大阪市平野区加美北6-1-1906-6792-7543

http://morino-sample.jp/


もりの1


・・・「地図」を見ながら探すのも、重要な「体験」です。


レストランのショウウィンドウに並んでいる、本物そっくりの食品サンプルを作っている会社です。おいしそうな食べ物そっくりのサンプルが製造される過程は、まさに職人の技。森野サンプルでは、自分だけのオリジナル食品サンプル製作を体験することができます。食品サンプルは基本的に本物の食材より型を取ります。本物の食材より型を取る訳は食材にはそれぞれの面(模様)が有り食材の全体の形と面を取り成型したものに着色することで食材の質感を出しています。現在でも食品サンプルは蝋でできていると思っている方がいますが現在の主原料は塩化ビニールです。蝋で食品サンプルを製作する時代は食品の寒天で型を作っていましたが、ビニールやその他の樹脂で食品サンプルを製作する今はシリコンや樹脂石膏等で型製作しています。食品サンプルをオーダー製作する場合、型製作・成型・着色・盛り付け・仕上げ等の工程は全て手作業となります。(場合より成型は機械でしますが、成型以降は手作業)


もりの2


・・・「今いくよ・くるよ」さんの色紙も飾られていました。あらためて、ご冥福をお祈りしたいと思います。

NEWS2015.5.30

今いくよさん告別式、相方・今くるよ「ありがとう!」と号泣

漫才コンビ、今いくよ・くるよとして活躍し、28日に胃がんのため亡くなった漫才師の今いくよさん(本名:里谷正子さん、享年67)の葬儀・告別式が30日、京都市内で営まれた。家族・近親者のほか、相方の今くるよ、間寛平、宮川大助・花子、西川ヘレン、西川忠志、西川かの子、シルク、さゆみ・ひかりら、ゆかりの深かった芸人仲間ら約120人が参列した。いくよさんの戒名は「萬華院喜香正蓮大姉(まんげいんきこうしょうれんだいし)」。告別式でくるよは、棺に眠るいくよさんに紙コップに入れたビールを口づけ、涙ながらに「ビールもたばこも我慢してたから」と話しかけた。献花の際には、最後に棺の上に花束を置き、「いくよちゃん、ありがとう!大好きな花やで!(天国に向かって)真っすぐ!真っすぐ行って!」と呼びかけた。棺には、たばこ(「KENT」)、舞台衣装、洋服、帽子、マスク、メイク道具、愛用のハンドクリーム、ポーチ、どん兵衛(ミニサイズ)が収められ、午前11時20分ごろ出棺。宮川大助は棺を担ぎ、宮川花子は「ありがとうございました!いくよ姉ちゃん、日本一や」と声を振り絞った。くるよは親族と一緒に斎場に向かった。今いくよさんは、京都市出身で、高校卒業後、会社勤務を経て、1970年に高校の同級生だった今くるよさんとともに女性漫才師の今喜多代さんに弟子入り。73年、女性漫才コンビ「今いくよ・くるよ」を結成した。男性中心の漫才界で、お互いの体型や派手なファッションなどをネタにし、体を張ったギャグや軽妙な掛け合いで人気を集め、80年代の漫才ブームに乗って一世を風靡(ふうび)した。1984 年上方漫才大賞の大賞など多くの賞を受賞し、女流漫才のパイオニアとしてテレビや舞台などで活躍、長年にわたって幅広い人気を集めた。いくよさんは昨年9月、胃がんであることを公表。手術のために休養していたが同年12月に舞台に復帰、治療を続けながら活動を継続し、今月上旬まで舞台に立っていたが再び体調を崩し、28日午後、大阪府内の病院で亡くなった


もりの3


NEWS2012.3朝日新聞より

飲食店の店先にある食品サンプル。日本人のサービス精神や職人芸の象徴ともいわれるが、ルーツは関西にあるという話を聞いた。「おそらく京都だと思います」と教えてくれたのは、日本経済新聞特別編集委員の野瀬泰申さん(60)。その歴史を調べ、著書「眼で食べる日本人」で紹介している。大正時代、養蚕業の学習用に使う蚕や植物の模型があった。その制作技術をろうで食品に応用したのだ。手がけたのは、島津製作所標本部の西尾惣次郎。衛生試験所などからの依頼で、栄養指導で使う保健食料理模型を作った。作り始めは191721年ごろ。「一品ずつ、パーツごと寒天で型を作った。発想がユニークでした」(西尾が創業した西尾製作所顧問の宮本さん=70)。うわさは関西を駆けめぐった。模型に刺激を受ける作り手も多く、やがて商売として企業化する試みが始まる。その最初が32年の岩崎製作所(現いわさき、大阪市)だ。創業者・岩崎瀧三の伝記「蝋(ろう)の花」に「すき焼き用の肉片と缶詰に盛られたグリーンピース」の模型を見たことが創業のきっかけ、とあった。作り手を刺激する需要もあった。野瀬さんによると「関西では早くから、個人の店でサンプルを置いたようだ」。当時、関西にきた地方出身者にメニューだけで料理のイメージは浮かびにくく、「店にとっても、『こんなんでっせ』と見てすぐわかる即効性」が受けたらしい。料理の現物を置くより安く、長期間変色しない利点もあった。大阪市平野区の町工場が並ぶ一角にある「森野サンプル」を訪ねた。創業者で昨年亡くなった森野留吉さんは、元祖・西尾の精巧な丼のサンプルに学び、岩崎製作所を経て73年、独立した。工場では、従業員が手作業で白団子に茶色いあんをかけ、リンゴの皮に色をつけていた。留吉さんの息子、森野文男社長(57)は「オムライスがはやった時期にその注文が増えましたが、基本、作るものは様々」。店の要望には、一筋縄ではいかないものもある。最近も、「鉄板の皿の上にのったカレーが、熱で細かく泡立つ様子」を求められた。液体のウレタン系樹脂に薬品を入れて発泡させてみたが、泡の形を思い通りにできず、失敗した。そこで、発想を転換。泡の型を先に作ってみた。芳香剤の容器の中で見つけた小球を半分に切り、液体の塩化ビニールなどをかけて泡だった感じを演出。それをカレーの上に置き、継ぎ目が見えないよう液体の樹脂を重ね合わせていった。「父は『どんなものでも作らなあかん』と言っていた。プライドを持っていた」。作り手の意地。それが、食品サンプル隆盛の秘密かもしれない。たこやき模型工房スタッフ・乾美香子さん(25は、大阪・道頓堀★「コナモンミュージアムで、たこやきのサンプル作りを教えています。溶かしたろうを、シリコーンの型に流し込んで冷やし、紅ショウガやネギ、タコなどの細かい部品でデコレーション。約45分間の制作中に会話も弾み、子どもたちや外国の方に喜ばれますね。私はちょっと遊んで、イチゴを乗せた「フルーツたこやき」を試作。「オリジナルメニュー」を考える楽しみもありますよ。


もりの4


・・・お土産に「焼き鳥耳かき」を3種類ゲットしました。


【参考株式会社いわさき

546-0042大阪市東住吉区西今川1-9-19/06-6714-2526

http://www.iwasaki-ts.co.jp/

食品サンプルを見たことがない、という日本人はおそらくいないと思います。その食品サンプルを日本で初めて事業化したのが当社の創業者岩崎瀧三です。食品サンプルは大正末期から昭和初期に日本で発明されました。昭和年、食材模型をはじめて目にした瀧三は、子どもの頃、ロウを水に落とし花のように咲かせる遊びに熱中したことを思い出し、それがロウで出来ていることを確信しました。製品もまだあまり市場に出回っておらず、種類も少なかったことから、瀧三は食品サンプルの仕事を企業化し、日本全土に普及させることを決意したのです。そして、試行錯誤を重ねて製造方法を編み出し、妻であるすゞの協力もあって、それまでに出回っていた料理模型などとは比べ物にならないほど迫力を持った模型を作り上げました。瀧三はこの成果をもとに、株式会社いわさきの前身である『岩崎製作所』を大阪市北区老松町3丁目14番地(現在の西天萬丁目10番)に創立、★そごう(十合)百貨店に初めて食品模型が採用されました。最初は桐の箱を両手に持ち食堂を回っていましたが、出張製作販売、営業所の開設、と徐々に販路を全国へ広げて行ったのです。創業から80有余年、当社は外食産業の発展と共に歩みを続け、そのなかで食品サンプルの役割は単なる『料理見本』から『販売促進ツール』へと変わっていきました。外食産業をとりまく環境は大きく変化し、競争が激化する現在は、昔のように「味」や「珍しさ」だけで集客できる時代ではなくなったといえます。そこで[いわさき]では食品サンプルにとどまらず、飲食店の皆様がお客様の満足を得て、リピートのお客様を獲得するための様々な販促プランやツールをご提案し、それぞれのお店の業種や業態に合わせた「繁盛のお手伝い」をさせて頂いております。


もりの5


【参考】「道頓堀コナモンミュージアム」

542-0077大阪市中央区道頓堀1-6-12/06-6214-6678

https://www.shirohato.com/konamon-m/

★コナモンサンプル工房「まねき多幸」3階

大阪の食文化を支えてきた、伝統ある食品ロウサンプルの技を体験!世界でひとつだけのタコヤキサンプルを作れます。大阪らしいオリジナルお土産にピッタリです。