ほろ酔い気分(14) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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【笠置屋】

寛永14年(1637)、初代・大倉治右衛門は、木津川の上流、笠置の里(今の京都府相楽郡笠置町)から伏見に出てきて、旅客でにぎわう舟着場の京橋と目と鼻の先の南浜の馬借前(いまの本材木町)というところに居を構え、酒造りを始めました。この創業の場所(現在の大倉家本宅の所在地)は、旅人の往来する街道筋に面し、また酒造業として何より大切な、良質で豊かな地下水にも恵まれていました。その清冽な地下水は、今も酒蔵の下を流れつづけています。この地を選んだことは、まさに初代の先見の明でした。初代・治右衛門は、このとき、まだ23歳の青年でしたが、笠置荘の大倉善右衛門家より分家してきたということで、屋号を「笠置屋」、酒の名前を「玉の泉」と定めました。治右衛門の父にあたる笠置の大倉家第41代善右衛門尉行隆が、農業や商工業を幅広く行う中で、酒造業も営んでいたことが、伏見での酒屋創業につながっていす。江戸期の笠置屋は地元を中心に商う小さな造り酒屋でした。


つき1


・・・先日訪問した「笠置」とこんなところで出会うとは、おもしろいですね。

【参考】見直そう伝統のチカラ日本酒心美体プロジェクト

http://www.kizakura.co.jp/ja/shinbitai/

http://www.sake-okoku.net/shinbitai/index.html

灘・伏見の日本酒メーカーが一致団結し、日本酒の「復権」を目指して共同で設立したプロジェクトの名称です。プロジェクトの発足は2004年12月に発表し2005年度より広告や商品、WEBサイトなどを通じて、本格的に消費者の皆様に「心美体」にやさしい日本酒の伝統的なチカラをお伝えしてまいります。この日本酒心美体」は10社に限らず、興味をもっていただいた同業企業様にも広く参加してもらい、活用いただきたいと考えております。今後の「日本酒 心美体」プロジェクトの活動にぜひともご注目ください。

■大関■菊正宗■黄桜■月桂冠■沢の鶴■松竹梅■白雪■日本盛■白鹿■白鶴

同プロジェクトによると日本酒は「心=一杯でストレス半分楽しさ倍増・美=ほろ酔いついでに若返り・体=アミノ酸あれこれ買うより日本酒飲もう」の効用があり、先祖たちが創り出した知恵で、伝統のチカラだ、としている。


つき2


・・・煉瓦の煙突、いい感じです。


つき3


伏見十石舟

「十石舟」「三十石船」は、江戸時代に伏見からの酒や米などの搬出および旅客を大坂と行き来させるため、宇治川派流と宇治川・淀川の間を航行する輸送船としてはじまり、明治時代末期まで存続した。1998年、京都市および月桂冠など55法人の出資によるTMO「株式会社伏見夢工房」が、かつての港町伏見を偲ぶ屋形船仕様の遊覧船として運航を開始したことで、再び濠川に航路が開設された。同法人が2012年6月をもって解散したことから、運営が伏見観光協会に移管されている。

濠川(ほりかわ)

濠川は、伏見城築城(1594年)の際、宇治川の水を引き込み外濠として築かれました。月桂冠大倉記念館や内蔵酒造場から連なる南浜は、かつて大坂から京に入る玄関口として三十石船が発着、船宿が軒を並べ、旅客でにぎわっていました。その後、濠川沿いには大名の武家屋敷が置かれました。現在の月桂冠の昭和蔵(京都市伏見区片原町)は紀州藩、北蔵(同・下板橋町)は尾州藩、大賞蔵(同・東堺町、現在の松山酒造)は薩摩藩の伏見屋敷でした。濠川には現在、春季から秋季にかけ観光船の十石舟が運航しています。川沿いには遊歩道が整備され、柳並木越しの酒蔵風景や、しだれ桜、ソメイヨシノ、ゆきやなぎ、あじさいなど、折々の自然が人々の目を楽しませてくれます。


つき4


◆宇治川派流

京都府京都市伏見区にある運河。一級河川の起点は伏見区平戸町・豊後橋町の境、宇治川観月橋の西。伏見市街地の南にあり、中書島を巡る形になっている。中書島はかつて宇治川が流入していた巨椋池の入江の名残で、豊臣秀吉による伏見城築城の折、外堀(濠川)を開削した際に今の形になった。その後明治になって琵琶湖から疏水が引かれた時に外堀は墨染のインクラインで疏水とつながれたため、現在の宇治川派流は、疏水の水を宇治川に流す運河となり、観月橋の西にある平戸樋門を通じて宇治川右岸に注いでいる。この運河は近世から明治初期にかけて京大坂を結ぶ淀川舟運で賑わった。

◆「長建寺」

612-8211京都市伏見区東柳町511075-611-1039

http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000169

真言宗醍醐派。一般に島の弁天さんと親しまれている。1699年(元禄12)伏見奉行建部内匠頭政宇が中書島開発の際、深草大亀谷の即成就院から塔頭多聞院を分離して創建した。脇仏は珍しい裸形弁財天。月に弁天祭がある(第日曜日)。京都で御本尊が弁財天という寺はここしかない。建立:1600年頃(江戸時代)現世利益のお寺で祈願に行く人が多い。桜の名所で他に四季おいおいの花も美しい。「開運宝貝御守」とおみくじが有名。


つき5


・・・「カエル石」を発見しました。ありがたい、ありがたい。