蝦蟇仙人 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「夏祭り」の季節、なんてったって平野「杭全神社」祭礼です。


がま1


・・・いろいろ地車はありますが「かえる友の会」としては、


がま2


野堂北組】(旧魚棚組

http://iwanee.web.fc2.com/osakashi-minami.htm

大阪型。3代目。平成4年(1992)制作。大工は川井工務店(川井勝利)。彫師は井宮勇倉。三枚板は井尻翠雲。先代は明治初期の作。大工は「大佐」。彫師は不詳。川井工務店に下取られ、平成6年(1994)9/25に神戸市灘区都賀へ。

≪小屋根廻り≫飾目:「北の文字に蝦蟇仙人(左)と鉄拐仙人」。拝懸魚:「龍に乗る黄仁覧」、隣懸魚:右は「雷神」、左は「風神」。車板:「【漢楚軍談】黄石公と張良」。

≪腰廻り、見送り廻り≫見送り:正面は「超雲、江を截って幼主を奪う」、右は「玄徳、天に祈念して巌を斫る」、左は「諸将、勝軍(いくさ)を祝す。孔明、関羽が罪を問う」。
匂欄廻り:「唐子二十四考」、土呂幕廻り:「海の幸の揃い踏み」、後正面「廬教仙人」。台木:「玄武」。


がま3


蝦蟇仙人

中国の仙人。★「青蛙神を従えて妖術を使うとされる。左慈に仙術を教わった三国時代の呉の葛玄、もしくは呂洞賓に仙術を教わった五代十国時代後梁の劉海蟾をモデルにしているとされる。特に後者は日本でも画題として有名であり、顔輝『蝦蟇鉄拐図』の影響で李鉄拐(鉄拐仙人)と対の形で描かれる事が多い。しかし、両者を一緒に描く典拠は明らかでなく、李鉄拐は八仙に選ばれているが、蝦蟇仙人は八仙に選ばれておらず、中国ではマイナーな仙人である。一方、日本において蝦蟇仙人は仙人の中でも特に人気があり、絵画、装飾品、歌舞伎・浄瑠璃など様々な形で多くの人々に描かれている。

蝦蟇鉄拐図】作:顔輝

http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/chuugoku/item10.html

仙人、李鉄拐(りてつかい)と蝦蟇(がま)仙人こと劉海蟾(りゅうかいせん)が照応するように斜め向きになって岩上に坐る。鉄の杖を胸元にたてかけた李鉄拐は、ちょうど魂を吹き出した所で、もとの体は脱けがらとなってすでに死色を帯び、硬直し始めている。一方、劉海蟾は不老長寿を示す桃を持ち、肩に大きな白蟾をのせている。筆者、顔輝(がんき、字は秋月〈しゅうげつ〉)は廬陵(今の江西吉安)の出身。宋末元初の13世紀後半に活躍した道釈人物画家である。怪異な主題を強調する変形された顔の輪郭や大胆にうねる衣紋には、宋画の写実的表現から脱けでた新たな造形感覚が窺える。

※「百萬遍知恩寺

浄土宗七大本山の一つで、百萬遍の名前で知られている「浄土宗大本山百萬遍知恩寺」は、浄土宗をお開きになった法然上人が都の人々にお念佛の教えを説かれた「賀茂のかわら屋」が前身となっております。法然上人がお亡くなりになった後、その弟子で知恩寺の二世勢観房源智上人が、師の亡き後、ここに住し、法然上人の御影堂を建立。恩を知るお寺「知恩寺」と名付けました。


青蛙神

天災を予知する力を持つ霊獣もしくは神。大変に縁起の良い福の神とされ「青蛙将軍」、「金華将軍」などとも呼ばれる。道教徒の間で特に信仰されていた。中国では月に青蛙神がいるとされている。蝦蟇仙人はこの三足の蛙を捕えるために、金貨で釣り上げて従えたといわれている。家の庭先に青蛙神がでると、その家に金運があり、幸せが訪れるとも言われている。三足の内訳は前足が本、後足が本で、後足はお玉杓子の尾のように中央に付く。清の蒲松齢の小説『聊斎志異』にも登場する。

日本では青蛙神を題材に岡本綺堂が『青蛙堂鬼談』を執筆し、彼の養子の岡本経一が創立した出版社は青蛙神にあやかって「青蛙房」と命名されている。本来は、いぼを多く持つヒキガエル、いわゆる蝦蟇蛙がモデルであるが、名称からアオガエルと取り違えて描かれている例も見られる。

青蛙房

113-0033東京都文京区本郷2-17-9/03-3813-1597

http://www.seiabo.com/

中国および広くアジアにも信仰のあついという三本足の蛙の神様にまつわる話を、現・青蛙房社長の祖父にあたる作家岡本綺堂が、読物『青蛙堂鬼談』に仕立てたものだが、当時たいへんに評判をとった。そのお蔭をもらって、先代(初代)岡本経一が社名を「青蛙房」として1955年12月にまさに“発足”したのである。


がま4


・・・もちろん「河鍋暁斎」さんも「蝦蟇仙人」を描いておられます。


がま5


★「画鬼・暁斎—KYOSAI幕末明治のスター絵師と弟子コンドル

主催:三菱一号館美術館、公益財団法人河鍋暁斎記念美術館

100-0005東京都千代田区丸の内2-6-203-5777-8600

2015年月27日(土)~日(日)

http://mimt.jp/kyosai/

河鍋暁斎(18311889)は、幕末に生まれ、歳で浮世絵師歌川国芳に入門、歳で狩野派に転じてその正統的な修業を終え、幕末明治に「画鬼」と称され、絶大な人気を博した絵師です。一方、三菱一号館を設計した英国人建築家ジョサイア・コンドル(18521920)は、政府に招かれ明治10(1877)年に来日、日本の近代建築に多大な功績を残しました。彼は日本美術愛好家でもあり、暁斎に弟子入りして絵を学び、師の作品を海外に紹介しました。本展では、三菱一号館美術館開館5周年を記念し、コンドルの業績とともに、彼の敬愛する暁斎の厳粛さからユーモアまでただよわせる型破りな画業を、様々なジャンルにわたる国内外の名品約130点(展示替え有)によりご覧いただきます。

三菱一号館復元

http://www.naigai-technos.co.jp/jituseki/detail.php?seq=7

1894年に建てられ1968年に取り壊すまで千代田区丸の内に存在した煉瓦造の旧事務所建物を三菱一号館美術館として復元。当社では内部造作及び床フローリンング工事を担当しました。復元のコンセプトは、存在設計図、解体時の実測図、内外装写真、保存部材を基に資料の欠損した部分はコンドル設計の他事例や同時期の建築から推定するなどした上で出来る限り創建時に近い外観、構造、材質を再現する事でした。玄関・廊下及び旧銀行営業室は忠実に再現され、特にクリ型や彫刻部材が多く、保存部材をお借りして1つレプリカを作成してから複数製作するなど、当初打合せから工事完了まで約年を費やしました。


・・・9/6まで開催されていますので、ぜひ行きたいと思っています。