かくれ里(15) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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◆「宇陀市文化会館」

633-2164奈良県宇陀市大宇陀拾生871/0745-83-0977

http://www.city.uda.nara.jp/bunkakaikan/shisetsumedia2.html


ぶんか1


・・・「文化会館」には「展示スペース」もあるのですが、残念ながら催しはありませんでした。そこで、中将姫ゆかりの「青蓮寺」へ。

◆「宇賀神社」

633-2223奈良県宇陀市菟田野宇賀志1096

古事記によれば神武天皇東征の途上、宇陀に入ると、地元の豪族だった兄宇迦斯(えうかし)が、神武一行に仕掛けをして騙まし討ちにしようとします。しかし弟宇迦斯(おとうかし)の密告で策略を知った神武側は、兄宇迦斯を返り討ちにしてしまいます。当社の祭神は天照大神ですが、もともとは宇迦斯神魂を祀ったものといわれ、地名の宇賀志の由来にもなったそうです。


ぶんか2


神社の裏を流れている小川の名前は「血原川」といい、神武天皇東征に関わる地名となっています。手水用のつくばいは陰陽の形をしていて、台(下からの支え)が陽石、上に乗る鉢石が陰石といわれ、「子もうけ石」と呼ばれ、夫婦でこの石を撫でると子宝が授かると信じられています。


ぶんか3


中将姫遺跡日張山青蓮寺

633-2223奈良県宇陀市菟田野宇賀志1439/0745-84-2455

http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/contents/contents.php?contents=0000000264


・・・お掃除をされている途中、わざわざ私のために本堂でお話を聞かせてくださいました。


ぶんか4


・・・お寺の鐘、久しぶりに撞かせていただきました。


奈良朝天平宝宇760横佩の右大臣、藤原豊成卿の息女、中将姫が、継母のざん言によって14才の身をもってこの山に配流せられたが、武士嘉藤太の情により危きを助けられここに草庵を結び「なかなかに山の奥こそ住みよけれ、草木は人のさがを言わねば」と、閑居練行ヵ月ひたすら念仏三昧の生活をおくられた。そのうち父君遊猟に来られ、不思議の再会を得て奈良の都へ帰館されたが、菩提の志止みがたく遂に★「当麻寺に入りて出家剃髪の身となり法如尼と仰せられた。それより彼の有名な当麻曼荼羅を感得されて後、19才の夏再びこの山に登り、一宇の堂を建立して、自らの影像と、嘉藤太夫婦の形像を手づから刻み安置して日張山青蓮寺と名づけ永く尼主の道場とされた由緒ある山寺である。尓来はるかに1200年の星霜を経て、幾多の変遷まぬがれず、現今の堂宇は天明年の火災につぎ文化12年の水害の後、弘化年に建立せられたものであるが数々の遺物と、嶺の松風、渓の清流は昔ながらに中将姫にまつわる哀れにもゆかしい物語りを伝えて今日に至っている。また、この寺を別名「再会寺」と呼び、逢いたい人と夢叶う寺としても人々から親しまれています。

ぶんか5


【参考】世阿弥謡曲「雲雀山」

http://www5.plala.or.jp/obara123/u2163hib.htm


・・・また「当麻寺」にも行かなくちゃ。