・・・「柳生の里」から再び「宇陀の里」にもどってまいりました。壁画「阿騎野の朝」」(作:中山正實)を所蔵する「宇陀市中央公民館」のすぐ横にあるのが、
◆「大宇陀かぎろひの万葉の丘公園」宇陀市大宇陀中庄124
http://www.city.uda.nara.jp/kouen/kyouiku/leisure/kouen/ooudamanyou.html
宇陀川沿いの小高い丘にあり、柿本人麻呂が当地で詠んだ秀歌「ひむがしの野にかぎろいのたつ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ」を刻んだ歌碑が立つ。「かぎろひ」とは厳冬のよく晴れた日の出前、東の空を彩る陽光。人麻呂がかぎろひを見た陰暦11月17日、この場所で「かぎろひを観る会」が開かれる。園内には万葉植物も植栽されている。
★「かぎろひを観る会」
https://www.city.uda.nara.jp/shoukoukankou/kankou/ivent2015/kagirohi2015.html
人麻呂の歌が詠まれたとされるこの日に「厳冬のよく晴れた夜明け、日の出1時間ほど前に現れる最初の陽光」という説に基づく[かぎろひ]をたき火を囲んで待つ。阿騎野朝市などの催し物が行われる。
(第42回)2014.12.19 (第43回)2015.1.7 ★(第44回)2015.12.27
◆「阿紀神社」
633-2166奈良県宇陀市大宇陀迫間252/0745-83-3168
http://www.city.uda.nara.jp/sin-kankou/guide/shrine_temple/s02.html
創建には様々な説があります。一つは神武天皇が東征の際、宇陀の阿紀の地に天照大御神を祀ったことが始まりという説。また一つは、崇神天皇の御代、皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大御神を祀ったのが始まりと伝わります。元和年間(1615~1623年)に織田藩が宇陀の地を治め、3代目当主の織田長頼のころ、能楽が奉納されたのを起源に寛文年間から大正時代にかけて能楽興業が行われてきました。現在は、当時を偲び、毎年6月中旬に★「あきの螢能」が開催され、能の最中に明かりをおとし、螢が闇に放たれる瞬間は見る者を魅了する。
社地の前を西南から東北に流下する本郷川は当社の「御手洗川」で、南岸狭長な水田を隔てて数十メートルの高い位置に墳丘を覆う樹叢の地があり、ここを★「高天原」と称する。天正年中(1573~1592)に神樂岡の社をここに遷座したと伝え、又造営の時にこの地に一時遷座する所であるとも云われていて、社地の跡と考えられる所が今も残っている。
・・・「文化会館」がリニューアル工事で入れなくなりそうなので、とりあえず見学に行くことにしました。
・・・やっぱり、8/24~10/9が工事だそうです。