・・・「宇陀の里」への道中、気になる看板がありました。「人麻呂公園」だけでは物足りなくて、やっぱり行ってみます。
★「山部赤人墓」/633-0202奈良県宇陀市榛原山辺三
http://www.city.uda.nara.jp/udakikimanyou/manyoukahi/kahi04.html
額井岳(ぬかいだけ)標高812.3mの山裾を登っていくと、やがて木立の中に、東屋が見えてくる。その奥に、万葉歌人山部赤人の墓がある。奈良時代を代表する歌人で、後に三十六歌仙にも数えられています。ここの地名は「山辺」であり、山部赤人は★「山辺赤人」とされることも多かったことから、山辺の出身であると考えられ、ここが墓であると伝わっている。さらに、墓がある「額井岳」は、古くから「大和富士」と呼ばれるほど姿の美しい山で、代表的な歌である「富士の高嶺に雪は振りける」との共通性もあっておもしろい。
●山部赤人の墓「田子の浦ゆ うちいでてみれば真白にぞ 不尽の高嶺に雪は降りける」と詠んだ山部赤人は、聖武天皇の頃(8世紀)宮廷に仕えた下級官吏ですが、宮廷歌人として数多くの歌をのこしています。没したのは天平8年(736)といわれ、ここ大和富士と呼ばれる額井岳東麓にしづかに眠っています。
●山辺赤人の墓「万葉集」に数多くの秀歌を遺した歌人、★山辺赤人の墓地と伝承されている。ここにいつの頃にか建てられた五輪の石塔、いかにも古そうに風化している。伝承そのままが真実であるかは詳らかではないが、ここ大和富士の南斜面に人家の散在する文字通りの山辺の村に、山辺赤人が葬られていると、古くから村人は信じて疑わない。
●お墓近くに建つ万葉歌碑
「あしひきの 山谷越えて 野づかさに 今は鳴くらむ うぐいすの声」揮毫:三浦真木夫
【山部赤人】
その経歴は定かではないが、『続日本紀』などの史書に名前が見えないことから、下級官人であったと推測されている。神亀・天平の両時代にのみ和歌作品が残され、行幸などに随行した際の天皇讃歌が多いことから、聖武天皇時代の宮廷歌人だったと思われる。作られた和歌から諸国を旅したとも推測される。同時代の歌人には山上憶良や大伴旅人がいる。『万葉集』には長歌13首・短歌37首が、『拾遺和歌集』(3首)以下の勅撰和歌集に49首が入首している[3]。自然の美しさや清さを詠んだ叙景歌で知られ、その表現が周到な計算にもとづいているとの指摘もある。柿本人麻呂とともに歌聖と呼ばれ称えられている。紀貫之も『古今和歌集』の仮名序において、「人麿(柿本人麻呂)は、赤人が上に立たむことかたく、赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける」と同等に評価している。百人一首には、「田子の浦に うち出てみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」として収められています。
・・・そして、もっともっと気になっていた「お寺」へ。
◆「大野寺」
633-0315奈良県宇陀市室生区大野1680/0745-92-2220
http://www.kasugano.com/kankou/spring/oonodera.html
宇陀川沿いにある大野寺は室生寺の末寺になります。寺伝によると白鳳9年(681)に修験道の開祖である役小角がこの地を大峰山修験道の修行の場にしたとされています。そして天長元年(824)に弘法大師が室生寺を開創のとき、この地を「室生寺西の大門」と定め一集落を作り、本尊の弥勒菩薩(秘仏)を安置して慈尊院弥勒菩薩寺と開きます。その後、地名をとって大野寺と名づけられたとあります。元々は大野寺山の山頂に寺がありましたが、兵火による再建でこの場所に移されました。このあたりは室生山火山群で巨石が数多く存在します。磨崖仏は興福寺の僧・雅縁が★「笠置寺」の磨崖仏を模して造立する事を発願したといい、後鳥羽上皇の勅願によって造られました。承元元年(1207)10月から1年かけて、高さ33mもある弥勒岩に凹みを作り、中を水磨きして、そこに弥勒仏の立像が線刻されました。仏像の高さは11.5m。最終段階の仏像の線刻はわずか9日間でされたとあります。造立にあたっては、宗慶という工人が彫り始め、宋人石工二郎、三郎、五郎、六郎、七郎、八郎が共に彫造したと伝える。(東大寺石獅子も宋人の制作とある)。宋人石工「伊行末(いのゆきすえ)」も、そのなかの一人といわれている。承元3年(1209)3月7日の開眼供養には後鳥羽上皇の御幸もあり、盛大に行われたという。麿崖仏は地下水が漏れ出し崩壊の危機があり、1993年から1999年まで6年かけて保存修理工事がされました。
●磨崖仏の左側下方に刻まれた尊勝曼荼羅(鎌倉時代前期)
密教において、災害の消滅や利益の増加を祈願して修される、尊勝法の本尊として用いられる図(曼荼羅)。
●境内には樹齢300年を超える枝垂れ小糸桜が2本、他にも樹齢100年の紅しだれ桜30本があり狭い敷地内に見事に咲き誇ります。この小糸桜の品種は全国的にも珍しく、室生寺の近くにある西光寺にある城山之桜が親木だとされています。またこの桜は宇陀川上流にあることから種が流れてきて根付いたのではとも言われています。じっくり見ると枝ぶりが似てるような気もします。西光寺は近くなので車の方はこちらも合わせて見に行かれると良いと思います。桜以外にも雪柳やモクレン等多くの花が植えてあり春が存分に楽しめます。
・・・この磨崖仏はもちろん素晴らしいのだけれど、「笠置寺」の磨崖仏を模して造立したということで、その本家を知らなければという思いが強く、行くしかないだろう。