◆1997「西梅田公園」/530-0001大阪市北区梅田2
http://www.landtec.jp/works/a%20work/nisiumeda.htm
第14回都市公園コンクール「建設事務次官賞」(雑誌「造景」17号掲載)
本公園の周辺環境は周囲を高層建築、上部を高架道路が重層して通る都市を象徴した空間である。ここで求められることは、都市の巨大構造物とうまく関わり合いながら、都市を人間スケールの空間としていかに取り戻すかということにあった。基本方針では、「みどりとみずに囲まれたオープン・ロビー」をテーマに、落ち着きと親しみのある空間とする一方、パフォーマンスなどの賑わいのある場としても機能するマルチユーズな空間である必要があると考えた。本公園での自由曲線の多用は、束縛されない自由な人間空間を表現し、様々な周辺の都市構造物と対比させることに起因する。高架下の雨のかからないスペースは、全天候型空間であり、広場の周辺とベンチのフリーハンド曲線の凹凸は岬と入り江を意味する。訪れた人々はその時の気分により気に入った入り江を選び、ゆっくりとくつろぐことができる。人間の手で丁寧につくられた空間は、訪れる人とのコミュニケーションを可能にする。手作業のぬくもりをデザインや素材に反映させることにより、デザイナーのこだわりや、作った職人たちの思い入れが、利用者の五感に働きかける。水音、ゲート、橋、地下連絡口、彫刻などは人間らしさを暗示する仕掛けでもある。こんな人間くささを感じさせる「オープン・ロビー」を都市内の一角につくり上げることが、この公園のデザイン的なねらいなのである。
【ランテック計画事務所】
540-0036大阪市中央区船越町2-4-6船越センタービル/06-6945-0065
http://www.landtec.jp/index.html
わたしたちは、さまざまな「環境」を真剣に考え、提案する専門家の集まりです。ディレクター・プランナー・デザイナー・エンジニア・コーディネーター・ファシリテーターなど多面的な個性を持つ面々が、知識・経験・技術を活かして、しあわせな暮らしの環境創造をサポートいたします。
・・・公園の改修や対策工事もいろいろたいへんです。
【参考】 http://www.ispage.net/index.cgi?const=54
◆「出入橋きんつば屋」
530-0003
大阪市北区堂島3-4-10/06-6451-3819
・・・「きんつば屋」と「オートバックス」が合体してるみたいで、いつ見てもおもしろい。
◆オートバックス「出入橋店」
530-0003大阪市北区堂島3-4-2/06-6451-5751
国道2号線沿いにあるカー用品店最大手のオートバックスセブンの事務所ビル。1~3階はオートバックス出入橋店となっている。オートバックスセブンは昭和22年に大阪市福島区で末広商会として創業。その後、本店を吹田市→豊中市→東京都港区→東京都江東区と移している。ビル内には創業者である★住野敏郎氏の「記念室」がある。
・・・「記念室」を確認できてなかったのですが、ありました・ありました。
【NTTテレパーク堂島】
大阪市北区堂島3丁目にある情報通信施設。NTTグループ各社が保有するビル群、通信アンテナ等で構成されており、主に各社の事務所およびデータセンターとして利用されている。
■テレパーク堂島第1ビル(NTT西日本営業本部)/大阪市北区堂島3-1-59
1912年~21年まで★大阪市庁舎があった場所で、碑が建てられています。「電話100年記念」★花時計はきれいに整備されていました。さて、ビルよりも高かった★電波塔の撤去作業はまだ続いています。
【参考】2014年8月30日午後7時30分頃、大阪市北区堂島3、NTTテレパーク堂島第1ビル(8階建、高さ約35m)の屋上に立つ電波塔(解体工事中)の頂上付近(地上から約115m)で火災が発生しましました。
■テレパーク堂島第2ビル/大阪市北区堂島3-1-2
「五代友厚製藍所・西朝暘館跡碑」「明治天皇聖躅碑」が並んで建っています。徳川幕府傘下の大名蔵屋敷は明治維新を迎えて破却され、跡地は殖産興業に利用され、大阪の発展に貢献したわけです。ようやく、その横に平成26年5月★「大村藩蔵屋敷跡碑」が建てられました。
【参考】「長崎・大村藩蔵屋敷跡」
http://nakamachi.sakura.ne.jp/kyoukai.html
■テレパーク堂島第3ビル/大阪市北区堂島3-1-7
「大阪中央電報局跡」昭和2年この地に建築された大阪中央電報局は孤形の屋階をつけたローマ式近代建築で当時に「白亜の殿堂または不夜城」とうたわれ、その偉容を誇り大阪新名所の一つとして市民の衆目を集めたものでした。電信事業合理化のため電報中継機械化を実施することとなり建物の構造上やむなく昭和40年玉江町に新築移転のこととなりました。ここにかっての雄姿を永く記念するため碑を建立します。昭和45年3月吉日・日本電信電話公社」作★山田守(1927-1966)
【参考】山田総合設計