★「旧阪神電鉄尼崎発電所」/660-0826兵庫県尼崎市北城内116
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/04kindai/kindai3-c1.html
明治34年(1904)竣工の煉瓦造りの尼崎火力発電所がある。明治38年の阪神電鉄開業前に建てられました。開業した当時、この尼崎発電所と御影発電所で発電された電気を電車の走行に使用していたほか、沿線で一般にも配電していました。設計は関西の工場建築を数多く手掛けた★茂庄五郎らしいとの事です。大正8年には発電所としての役目を終えました。現在は倉庫として使われています。隣に新しく建てた建物はレンガ積を模したものとなり、景観賞を受賞しています。
◆「尼崎市立中央図書館」
660-0826兵庫県尼崎市北城内27/06-6481-5244
http://www.amagasaki-library.jp/Ama/index.htm
1990北城内27番地に「中央図書館開館」1995阪神・淡路大震災発生。館内の図書散乱、外壁・内壁の損傷、書架倒壊の19日まで臨時休館
◆桜井神社
660-0825兵庫県尼崎市南城内116-11/06-6401-6643
http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/bunkazai/siseki/sakurai_jinja/sakurai_jinja.html
1882年(明治15)に尼崎藩主松平氏の祖、桜井内膳正信定を祭神として、旧藩士の有志が、旧尼崎城内の西大手橋東詰に建立し、その後国道43号線敷設のため1961年(昭和36)に現在地に遷宮しました。尼崎藩や尼崎藩主にゆかりの資料が残され、★尼信会館で公開されています。また境内には尼崎城の九曜紋入りの瓦が保存されています。
http://www.ama-jinja.org/09-sakurai.html
当神社は、明治15年、尼崎城内に建立された。櫻井松平の祖、信定公は、戦国の世に勢力拡大に尽力され、三河安城にその基盤を築かれた。当時の世のならいで、七代目忠頼公が、28才で亡くなり、家が断絶するが、八代目忠重公の努力と徳川家康公のはからいで、お家再興がかなう。十代目忠喬公の御代、遠州掛川より尼崎城に移封。即ち尼崎初代の城主となる。代々の城主は文芸に優れ、中でも尼崎三代目城主忠告公は亀文と号して、「まづ霞む竈々や民の家」の一句を境内石柱に残されている。最後の城主忠興公は、明治10年の西南戦争で敵味方区別なく戦傷者を看護され、これが世界赤十字に認められ★日本赤十字社の誕生を見るに至る。
★「人形納所と多賀得(おおがえる)」
「人形納所」には役目を終えた大切な人形がおさめられています。多賀得(おおがえる)像があります。カエルは、「よみがえる」「かえる(還る)」が語源になり、再生・再興・気力回復の折願に霊力を発揮する。カエルの子のオタマジャクシは、お多賀杓子(おたがじゃくし)が語源となり、その役目から「すくい取る」「めし取る」等、自力で幸運を招き寄せる力を秘めている。人形は身にふりかかる災難を避けるために作られたのが始まり。
・・・久しぶりに感動の「カエル」と出会えました。つくづく、「寄り道」って大切だなあと思います。
・・・この神社は、まさしくミュージアムです。
◆「琴城ヒノデ阿免本舗」
660-0862兵庫県尼崎市開明町1-36/06-6411-0340
http://ama-kan.jp/spot/detail.php?id=192
明治初期創業、日本古来の水飴として伝統を守り続けて百有余年。尼崎城の城下町があった名残を今に伝える老舗飴屋「琴城ヒノデ阿免本舗」。極上の米を選別し、その時々の飴の表情を読みながら炊き上げ・寝かし・煮詰め、 米本来がもつ甘みを引き出していく。経験と勘が味を左右する日本古来の水飴として、四代目久保勝さんが匠の技と伝統を守り続けています。他にはない味わいは多くの人を魅了し愛用され、特に神社、仏閣、著名人など喉の調子を整える水飴として重宝されています。商標に描かれるマークは尼崎城、別名琴城の名にちなみお琴の「琴柱(ことじ)」をイメージしており、水飴を味わいながら、尼崎の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
・・・本当においしいです。