紡績・赤煉瓦建築(15) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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◆「京都インクラインと琵琶湖疏水

【国立国会図書館写真帳より】

http://ndl.go.jp/scenery/kansai/column/kyoto_incline_and_lake_biwa_canal.html

舟運の衰退もあって、インクラインの運転は、昭和23年(1948)に休止された。だが土木遺産としての価値が認められ、58年(1983)には京都市の文化財に指定された。また、平成9年(1997)に開通した東西線(京都市営地下鉄)蹴上駅の工事に伴って、復元工事が行われた。レールを支える盛土や石積みの技法、英国製や八幡製鉄所製のレール。インクラインは、往時の土木技術のありようを伝える貴重な遺産である。レールの両脇には桜が植えられ、今日、この地区は桜の名所となっている。


いんく1


◆関西電力「蹴上発電所」

606-8436京都市左京区粟田口鳥居町

http://www.kepco.co.jp/corporate/energy/water_power/plant/

1891(明治24)年に、米国コロラド州アスペンの水力発電所を参考にした日本最初の水力発電所である「蹴上発電所」が「琵琶湖疎水」(1885<明治18>年6月起工、1890<明治23>年4月竣工)の豊富な用水を利用して蹴上に完成し、1891(明治24)年11月に送電を開始しています。ここで発電された電気は京都市内の時計工場や紡績工場に動力用電力として供給され、インクラインの運転動力もこの電力を利用しています。また、1895(明治28)年2月に開通した京都電気鉄道・伏見線(日本で最初の市街電車)にも電力を供給するなど、新しい産業の振興に大きく貢献し、京都市発展の一大原動力となりました。


いんく2


発電所の所有権は、昭和17年(1942)に京都市から関西電力に委譲され、正面入口近くに昭和37年、村野藤吾設計炭山南木による碑が建てられた。

※「水力発電事業発祥之地」(未確認です)

蹴上発電所はわが国最初の事業用水力発電所であって時の京都府知事北垣国道氏の計画になる琵琶湖疏水工事の設計者田辺朔郎博士と疏水常務委員高木文平氏が米国の利水施設を実地調査した結果水力発電所を疏水に併設することとなりこの地に建設されたものである。工事は京都市により施行され明治24月(1891)には80キロワット・エヂソン式直流発電機台をもって一部の発電が開始された。小規模ではあったが当時としては正に画期的なものでその後数次にわたり拡張され昭和11年(1936)に出力5700キロワットとなり現在に至っている。ここに一碑を建立してその由来を伝えるものである。昭和3712 関西電力株式会社 社長芦原義重



いんく3


・・・この後、もちろん「南禅寺」へ。


いんく4


◆「南禅寺」

606-8435京都市左京区南禅寺福地町075-771-0365

http://www.nanzen.net/index.html

臨済宗南禅寺派の本山。1291年(正応4)亀山法皇の離宮を賜り、無関普門(大明国師)が開山。室町時代は隆盛を極め、「五山之上」に列せられた。応仁の乱で焼失した伽藍を‘黒衣の宰相’といわれた以心崇伝によって復興。境内には勅使門、三門、法堂、方丈の伽藍が一直線に、その周辺に12の塔頭が並ぶ。三門(重文)は、藤堂高虎の寄進。方丈(国宝)は、大方丈と小方丈に分かれ、大方丈は御所の殿舎を、小方丈は、伏見城殿舎を移築したと伝えられる。小方丈の襖絵、狩野探幽筆「水呑の虎」は名高い。大方丈の前庭(名勝)は伝小堀遠州作で「虎の子渡し」と呼ばれ、江戸初期の代表的な枯山水庭園として知られる。

http://www.nanzen.net/keidai_sosui.html


いんく5


・・・この美しさは、絶品ですね。