紡績・赤煉瓦建築(14) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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琵琶湖疏水

明治維新で東京に都が移り、活気を失っていた京都の復興をめざして、明治18年(1885)琵琶湖疏水の建設が始まり、明治23年(1890)第一疏水が完成しました。


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東山自然緑地】/京都市山科区四ノ宮新開畑他

http://www.city.kyoto.lg.jp/kensetu/page/0000083277.html

山科区内の四ノ宮から日ノ岡間の第一琵琶湖疏水敷(延長約4.0㎞面積約204㌶)に沿って立地しています。この東山自然緑地は山科区内の疏水敷を利用しサクラマツ等の古木や疏水の流れ周辺の山々の景観との調和を基本とした散策路で春のサクラ秋のモミジなど四季折々のレクレーションの場としてまたどもたちの遊戯の場や市民の散策路として利用されています。また、3300mのジョギングコースが、昭和48年(1974)の東山自然緑地公園の設置時に設けられています。

明治37(1904)年竣工「黒岩第10号橋)」/京都市山科区御陵黒岩町

設計田邊朔郎・山田忠三施工河野一茂構造鉄筋コンクリート充腹アーチ

火山灰を利用したコンクリート技術の起源は古く、紀元前の古代エジプトやローマ帝国時代の時代から広く利用されたが、西ローマ帝国の滅亡とともに歴史から姿を消した。再び姿を表したのは約1400年後であった。18世紀後半に水硬性セメントが英国を中心に発展し、日本に導入されたのは明治年(1875)頃で、琵琶湖疏水を建設後には欠点を補うために鉄筋コンクリート技術が伝わり、明治37年(1904)には日本初の鉄筋コンクリート鉄道橋が山陰線に登場している。田辺朔郎氏が山科疏水にトロッコレールを用いた米蘭(メラン)式鉄筋コンクリート橋「第11号橋」を建設したのが明治36年(1903)であり、近くに「本邦最初鉄筋混凝土橋」(裏面に明治36年7月竣工、米蘭式鉄筋混凝土橋桁)と刻まれた碑が建っている。コンクリートと鉄材の膨張係数の差がないことを第11号橋(パイロット橋)の建設で確認した田辺朔郎は、黒岩にあった封じ山橋(明治22年9月落成)」のところに大型化した第10号橋(スケールアップ橋)を翌明治37年(1904)に建設して再確認し、本格橋の設計に備えた。

※「封ジ山町

江戸時代に御陵村の村有の安祥寺山を封じたのでこの名がついたとされる。

【参考】「琵琶湖疏水の100年叙述編」より

(現在の)第11号橋を造るにあたってはまだ専用の鉄筋はなかったので疏水工事で使ったトロッコのレールを代用した。ところがこの橋自体は国産セメントの試験用というべきもので実用性は乏しかった。ここからさらに東へ行った、翌明治37年に作られた黒岩橋こそ日本最初の本格的な鉄筋コンクリート橋なのである。

・・・「山ノ谷橋」とも呼ばれ、小さな橋ですが多くの名前そして物語がある「橋」ですねえ。


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琵琶湖第1疏水第2トンネル呑口延長125m馬蹄型

竣工:1887年(明治20)12月30日改修:1974年(昭和49)5月31日

扁額は『仁以山悦智為水歓』意味は『仁者は知識を尊び、智者は水の流れを見て心の糧とする』というものです。

無量山永興寺」

607-8403京都市山科区御陵大岩15075-591-3647

由来曹洞宗宗祖 永平寺開山 道元禅師は西暦千二百年、京都で生まれ、五十四歳の時、京都で亡くなり、東山 建仁寺の東山 円山公園音楽堂南側にて荼毘に付されました。その後、弟子の詮彗和尚が、同所に永興庵と云う庵を結び、禅師の偉徳を広めようとしましたが、新宗派の台頭を善しとしない比叡山徒の焼き討ちに遭い、永興庵は京都市内各地を転々として、現在に至りました。

本堂には安藤康行作の「大間天井龍図」が描かれており、また楠の一つの木から作ったという日本一大きい木魚(直径90cm、高さ95cm)も有名である。また、道元禅師の「御一代記絵巻」も掲げられている。境内の庭に大きな石のアーチ上のものがあ、これは本堂に描かれている龍の尻尾を表しているものだそうです

山科豊川稲荷社

縁起当社は愛知県豊川稲荷社の分霊で豊川だきに真天をおまつりしています。この善神は女神様で、妙和端麗にて稲穂を荷いて宝珠を掲げられて白狐にまたがる御姿をしておられます。この女神様は、福徳の神・開運隆盛の神、興産の神、すなわち生産(秀でた人物・財産を生み出す)の神様として、古来より人々に広くあがめられ、信仰されてまいりました。特に、今川義元・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康等の戦国の武将は戦いのまえには必ず武運長久を祈願したものです。当、山科豊川稲荷社は現在、この山科の地にて信者の全身を護持しているところでありますが、以前、曹洞宗 永興寺と同様、現在の円山公園音楽堂の南東に祭られておりましたが、その際には祇園町衆の信仰を集めていました。


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◆【琵琶湖疏水記念館】◆

606-8437京都市左京区南禅寺草川町17075-752-2530

http://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000007524.html

琵琶湖疏水竣工125周年記念パネル展

平成27年3月27日(金)~12月27日(土)

明治23年4月の竣工以来豊かな水の恵みで京都の市民生活や産業文化を支えてきた琵琶湖疏水は本年125周年を迎えます。これを記念し京都市上下水道局では琵琶湖疏水記念館において「琵琶湖疏水竣工125周年記念パネル展~写真でたどる琵琶湖疏水の今昔~」を開催します。本パネル展では琵琶湖疏水建設当時の貴重な写真などを展示し琵琶湖疏水の歴史を振り返ります。


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1992「巨大な輝き」/作:宮瀬富之

水門を開ける男と開かれた水門からキラキラあふれ出る命の水、幾数千万の力の結集が疏水隧道(トンネル)を造らせた。それは巨大なエネルギー このパワーを人物に託し琵琶湖からの永遠の恵みを感謝する気持ちを形とす。


『京都市三大事業』

琵琶湖疏水の開通を転機に東京遷都後の沈滞からよみがえった京都は、一層の発展を願って、近代的な街づくりをめざした。豊かな水源をもたらす第2疏水と、これをもととした水道と市電の走る幹線道路との同時建設である。これを『京都市三大事業』という。巨額の外国債を資金として、4年後の明治45年に事業は完成し、京都は新たな一歩を踏み出した。今その80周年の期に、人々の幸せと京都の永遠を祈念して、このモニュメントを建てる。平成4年11月 京都市


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第1展示室(1階) 「琵琶湖疏水の計画と建設」

第2展示室(地階北側) 琵琶湖疏水が果たした役割

第3展示室(地階南側) 京都市三大事業の実施

2階廊下展示(2階) 琵琶湖疏水の現在

屋外展示(1階・地階)


・・・これ全部無料で観れるのですから、ぜひ行ってみてください。