彫刻ストリート(13) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・「梅田アート」で紹介した「丸ビル」北側にある可愛い石彫、「花の二人(作:鈴木政夫)」。鈴木さんのことを調べてたどりついたのが、「猪名川町」です。

いながわ彫刻の道

http://www.town.inagawa.lg.jp/kanko/etc/1417666868853.html

楽しい彫刻で飾られた「彫刻の道」は、つのコースがあります。一つ目は、日生中央駅から松尾台を通って猪名川町役場に通じる道です。二つ目は、日生中央駅から北西へ約5分のところから始まり、伏見池公園に伸びる道です。三つ目は、銀山街道から金山彦神社までの道です。田園の緑を背景に、あるいは整備された家並みに点在するユーモラスな表情の羅漢像や、ユニークな裸像が、それぞれ猪名川町の四季を映し出し、魅力的な風景を創り出しています。ニュータウン内の伏見台地区、松尾台地区には車止めや道標の役割を演じてくれる石像もあり、百数十体の彫刻がそれぞれの表情で行き交う人を眺めているようです。皆様もぜひご覧ください。


いな1


鈴木政夫】(19162002

大正5年12月23日生まれ。兄の鈴木基弘も彫刻家。生家は石材加工業。石彫をこころざし昭和28年上京して木内克にまなぶ。35年新樹会に参加。43年五月会を結成。作品に阪急日生ニュータウンの野外彫刻群日本橋大同生命ビルの「生々の譜」など。作品集に「彫刻の道」など。平成14年3月19日死去。85歳。愛知県出身。岡崎市立商業卒。

【参考】鈴木政夫『町造りの中の石彫』作品集出版に寄せて中川藤一

http://ishibori.mobi/

鈴木先生と一緒にお話をして居る時「日本人の心の問題はこれでよいのか日本の町造りはこれでよいのだろうか」と言う議題が時々出る結局なつかしい故郷いい町だったと思い起こされる町そうした環境作りが大人の我々の仕事ではなかろうかと言う事で落ち着く昭和48年頃鈴木先生の第一集「生活の中の石彫」作品集を見ておられた新星開発(株)の儀賀社長さんから兵庫県の猪名川町から川西市にかけ目下110万坪三万人のニュータウン造りをしているが新旧いろいろ世界の町を見て歩いたが今度の町にぴったり入る様な故郷を思い出させる様な造形は何一つ見当たらなかったが鈴木先生の作品には暖かさがあるこれを何とか町造りの一環に組み込めないかとのお話で早速鈴木先生を囲んでの懇談となりそれが今回の第二集を作るきっかけとなった人間を大事にして行こうという作者と住む人達の気持ちを大事にした町造りをめざす日本生命さんとのなかなか実行し難い新しい町造りの中の石彫となったと思って居ます山を開き森を伐った新しい造成地でお互いに始めて寄り集まった人々の中に故郷を感じさせる事に無理があり又故郷は周囲から押し付けて出来るものでない事は百も承知していながら少しでもその中に安らぎを感じうるおいを持たせ明日への活力を得るよすがとなってもらいたいと言う両者の熱意と作品がそのものからかもしだす美しさほほえましさがこの阪急日生ニュータウンに住む人々の心の中に一味違う故郷感となって暖かい気持ちの通った町造りに発展して居るように思います私は鈴木先生が石彫りと言う非常に体力のともなう仕事をしながら好きな酒も節して大衆の目人間の心と共に生きていきたいと願う心意気に感激し又その努力が石彫刻に於ける日本の最高の地位を得たものと信じて居ます美術家と生活そこにはまことに現実的な闘争ががあるそれを乗り越えて石彫の美のためにあえて苦しさを選んで進む鈴木先生の一貫した態度に敬意と賛辞を惜しみませんこの作品集が町造りをめざす多くの方々への一つの波紋となれば幸せです昭和5016日記


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中川藤一】(1920~1988

1920年和歌山県御坊市生まれ三重高等農林学科卒、関西大学経商学部卒、元中川木材産業㈱社長元三重大学講師元全国ログハウス振興協会会長元大阪木材工場団地協同組合理事長1988年9月急逝

中川木材産業

587-0042堺市美原区木材通1-11-13072-361-5501

http://www.wood.co.jp/

木製品、インテリア、書籍

http://www.wood.co.jp/shop/p-6.html

・・・「木」と「石」が結びつくとは、まさしくアートです。「中川木材産業」は「美原区」にありますので、機会を見つけて行ってみたいと思います。


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町道原広根線い~な!!さくら通り

http://www.town.inagawa.lg.jp/kanko/matsuri/1420416453201.html

植えられた600本の桜並木が楽しめる。いながわ桜まつりでは道路の一部を歩行者専用道路にし、桜並木のライトアップやまつりを盛り上げるステージイベントが行われます。2015年は4月4日(土)に開催され、特別企画の仮装大会もありました


◆「うぐいす池公園

http://www.town.inagawa.lg.jp/kosodate/syougaigakusyuu/tenniscort/1417506668451.html

666-0261兵庫県川辺郡猪名川町松尾台2-3-1

人工芝テニスコート1面を備えています。緑に囲まれており四季を感じながらのプレーが楽しめます。また、うぐいす池公園内にはテニスコートのほかに、ゲートボール場なども併設されています。

・・・さらに、日本の原風景】を求めて「多田銀銅山」の方へ行ってみたいと思います。


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「いなぼう」

猪名川町のマスコットキャラクター、猪名川町が取り組む「清流猪名川を取り戻そう町民運動」を多くの人に知ってもらい、参加してもらうため、この運動のマスコットキャラクターとして平成19年(2007)に誕生し、平成21年(2009)9月からは猪名川町全体のPRを行うマスコットキャラクターとして活躍しています。デザインと名前は公募により決定し、猪の子どもの「うりぼう」をモデルとし、猪名川の"いな"、うりぼうの"ぼう"から「いなぼう」と名付けられています。

◆「上野素盞鳴神社安養寺

666-0244兵庫県川辺郡猪名川町上野町廻1

http://www.town.inagawa.lg.jp/kanko/bunka_sport/rekishiwalk/1422345066159.html

素盞鳴神社は、神功皇后が戦の帰途この地で難を避けたことから筌野宮大神を祭ったのが始まりとの伝説があります。元和元(1615)年の大阪夏の陣で、ここ上野から広根、銀山も戦場となり、社殿が焼失、明治19年に現在地に再建するまで荒廃が続きました。鉄の狛犬は静思館を建てた冨田熊作氏の寄贈によるものです。境内には春日神社、多田権現社、稲荷社があります。隣接する安養寺は浄土宗で、天文5(1536)年に、知恩院管長を隠退した灯誉上人が、約800年前からの観音堂を再興し寺とした由緒を持ちます。本尊は、珍しい逆手来迎印の阿弥陀如来立像で、鎌倉前期の作像ともいわれています。数ある寺宝には朝鮮伝来の貴重な大太鼓もあり、また知恩院ゆかりから、五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の位牌もまつられています。

【参考】「猪名川町文化財研究」より

猪名川町には全部で28の神社があり、そのうち、素盞嗚神社が4社、八坂神社が6社、名称にかかわらず素盞嗚命を主祭神としているのが合計で11社ある。北摂地域には素盞嗚を祭神とする神社がかなり多いようです。これには、織田信長が深くかかわっているらそうです。素盞嗚命を祀る神社のほとんどが、明治初期までほ「牛頭天王社」または単に「てんのうさん」と呼ばれ、牛頭天王なる神を祀っていました。素盞嗚命と「牛頭天王」は、「神仏習合」の歴史の中で、この2神は同一視されていましたが、明治以降、牛頭天王の名は歴史から消え去り、素盞嗚命だけが現代に伝えられています


いな5


◆「静思館

666-0244兵庫県川辺郡猪名川町上野字町廻り22番地

http://www.town.inagawa.lg.jp/kanko/rekishikaidou/1417240093061.html