・・・「難波アート」として最も個性的な建物は、以前に紹介した「道頓堀ホテル」(中央区道頓堀2-3-25)なんですが、南船場の「オーガニックビル」も負けてはいません。
■御昆布司「小倉屋山本」
本店:542-0081大阪市中央区南船場4-10-26/06-6251-0026
本社:542-0081大阪市中央区南船場4-7-21/06-6243-0011
創業:嘉永元年(1848)。昭和46年(1971)5月本社新社屋(小倉屋山本ビル)新築完成。平成5年(1993)3月★オーガニックビル(小倉屋山本本社ビル)新築完成。平成10年(1998)10月創業150年を迎えた。
★1993【オーガニックビル】/設計:ガエターノ・ペッシェ+UDコンサルタンツ
【参考】UDコンサルタンツ
再開発事業のコーディネート業務と建築設計業務を柱に、1983年に設立されました。以来、『建築』、『まち』、『事業』をデザインすることを基本理念に、企画開発セクションと建築設計セクションとを併せ持つという強みを活かし、生活者の視点で都市環境づくりを支援する活動を展開しております。弊社は、創業以来、社会経済環境の激変、2度の大震災に遭遇してまいりましたが、その都度、その経験を生かし、新しい「まちづくり」の模索をしてまいりました。歴史と文化の拠り所である都市を人が集う場として再生すること。
建築を街のストックとして再構築すること。 官民が適切な役割分担のもとでパートナーシップを構築すること。都市災害に備えた社会資本を再整備すること。以上を喫緊の課題とし、長年にわたって蓄積した英知を駆使し、卓越した問題解決力とスピード感のある行動力で、この社会的要請に向き合って行く所存です。
http://www.medic-web.jp/shop/s10000138/060308120637.html
小倉屋山本が本社ビルを建替える事になり、山本社長(当時専務)が、「どうせならおもろい物を作ろう」という事で、私ども(UDコンサルタンツ)にご相談をいただきました。そして当社が設計・監理を担当させていただくことになったんですが、まず「おもろい物」ということで、どんなビルを建てようかと考えた時に、やはり小倉屋山本の企業理念である「自然との共生」を尊重し、その考えを形にしようということになりました。昆布は海で育った物ですから、その天然の食材から、自然を大事に分かちあって生きていこうという考えなんです。そこでデザイナーを探し求めているとニューヨーク在中のベネッツアのアーティスト「ガエタノ・ペッシェ」に出会いました、我々のコンセプトに非常に興味を持ってくれて、快く引き受けてくれました。そして見事にその思いを基本デザインで表現してくれました。またオーガニックの特徴である壁面の植栽は(株)イージーさんにお願いしました。
・・・さらにもう一つ、個性的な建物を紹介しておきましょう。
■「浪花組」
542-0083大阪市中央区東心斎橋2-3-27/06-6211-1501
大正11年11月、その前身「浪花組曽我長三郎」として事業を開始し、昭和30年に現在の社名に変更致しました。その後、昭和39年(1964)に本社★大阪本店ビル、昭和41年に東京本店ビル、昭和51年に名古屋支店ビル、平成元年には横浜支店ビルを竣工し、現在は4つの営業拠点で事業を行なっております。浪花組は創業以来約一世紀にわたり、日本の伝統技術「左官」のリーディングカンパニーとして、モノづくりに「誇り」と「こだわり」を持って、企業発展に努めております。
【参考】繁華街を圧倒する凹凸外観/東心斎橋「浪花組」本社ビル
2014年11月1、2日の2日間、「生きた建築ミュージアム・フェスティバル大阪2014」(イケフェス大阪)が大阪市内で開催された。大阪市の「生きた建築ミュージアム・大阪セレクション」に選定された建物を中心に55件が参加。普段は立ち入れない内部が見られたり、所有者の話が聞けるなど、10月30、31日のプレイベントも含めると、全部で77の企画が実施された。中でも最も多い4つの企画が行われたのが、東心斎橋に建つ浪花組本社ビルである。1922(大正11)年に事業を開始した左官業の老舗・浪花組の本社屋として、1964(昭和39)年に建設された。1階部分をアーチ状とし、凹凸が繰り返された外観は集合住宅を思わせる。それにしては、素材もデザインも個性的だ。建築それ自体の形で、繁華街の看板群を圧倒している様子に、何の建物なのか気になっていた人も多かったのだろう。企画の一つである特別見学会は、幅広い世代の来訪者で賑わった。上の階では、正装であるはっぴをまとった社員が、左官体験として参加者に壁塗りを手ほどきしていた。そこまでの階段には美しい曲線を描いた手すりが取り付き、最上階のテラスには細い柱が林立している。左官業が何かということと、建物の繊細なデザインを共に体感できる時間だった。建築の見方を小学校1年生から3年生に解説する「生きた建築探検」も催された。ビルをめぐる途中、子供たちが目ざとく見つけたのは、廊下にあった籐巻きのパーティションだった。これは心斎橋のモダンな喫茶店として親しまれ、惜しまれながら閉店した心斎橋プランタンで使われていたもの。遊び心に満ちて、思わず手に触れたくなるデザインは、浪花組本社ビルと共通している。ビルを設計したのは、数多くの名建築で知られる大阪の代表的な建築家・村野藤吾。設計を依頼した当時の浪花組社長である中川貢こそ、村野の後援者の一人である。心斎橋プランタン、浪花組の本支店から数寄屋造の自邸まで、生涯に8件もの建築を村野に建てさせた。そんな村野の功績を考えるシンポジウムも、ビルの中で開かれた。会場となったのは、平日であれば業務が行われている事務室。社員の名前の入ったデスクに座り、建築の話を聞くという変わった体験に、聴講者の顔も自然にほころんでいた。最後の挨拶によれば、この日のために不要な荷物をトラックで運び出し、全館を掃除したとのこと。その笑顔には、今まで受け継いできた仕事と建築への誇りが確かに息づいていた。(倉方俊輔/建築史家・大阪市立大学准教授)産経ニュース
・・・現在「解体中」の「新歌舞伎座」も村野さんの設計ですが、調べていると次のようなこともわかりました。
★「新歌舞伎座」の外壁について、最初、村野は洗い出しで、色調はカラスの濡れ羽のようなつややかな黒を希望していた。左官工事を担当した「浪花組」は、カラスの濡れ羽色は油漆喰でないと不可能であると返答。代案として、平瓦が提案された。村野はのちに「浪花組」の本社社屋を設計したが、その際には外壁に「平瓦」を使用している。
・・・ということで、再度「新歌舞伎座」をチェックしてみました。確かに「平瓦」が使われていました。ちなみに「新歌舞伎座」の鬼瓦は辻晋堂さんの作だそうです。だんだんと解体がすすみ、工事フェンスが高くなり、建物が見えなくなってきました。さらに、調べていきますと、「新歌舞伎座」と「アポロビル」の共通点も発見しました。
【参考】 http://www.shochiku.co.jp/info/120th/
松竹株式会社は、平成27年(2015)11月22日をもって、創業120年を迎えることとなりました。これもみなさまの日頃のご支援の賜物と厚く御礼申し上げる次第です。当社は明治28年(1895年)、白井松次郎、大谷竹次郎兄弟が歌舞伎の製作興行に乗り出して以来、日本のエンタティンメント産業を支え、牽引して参りました。120年という歴史の重みをあらためて心に刻み、これからもお客様のニーズにお応えできる多様なコンテンツをお届けできるよう、社員一丸となって取り組んでまいりたいと思います。今後とも、みなさまの更なるご支援を賜りますよう、謹んでお願い申し上げます。