難波アート(7) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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千日前

道頓堀の南東に位置し、演芸場や映画館などがある娯楽街。同地区には法善寺と竹林寺がもともとあり、千日念仏を唱えていたことから両寺の別名(特に法善寺)を千日寺といい、その前で栄えた街だからということでこの名になったといわれる。1615年、市内の墓地の整理により「千日墓地」と呼ばれる大規模な墓地がつくられ、刑場・焼き場も併設された。


せん1


【精華通り】

1914年(大正3年)に大阪の興行界の実力者山川吉太郎が一大娯楽センター「楽天地」を建設、一躍市内のハイカラな名所となった。1930年(昭和5年)に廃業。1932年、白井松次郎(松竹創業者の一人)跡地に収容人数3,000人近い7階建ての南欧風建築「大阪歌舞伎座」を建設、初代中村鴈治郎はじめ多くの歌舞伎役者が舞台を踏んだ。以降、松竹の興行による関西歌舞伎が定期的に上演され、翌1933年には6階にアイススケート場を併設。劇場南西側の飲食店が立ち並ぶ路地は「鴈治郎裏」もしくは「鴈治郎横丁」(現・精華通り)と呼ばれ賑わった。

★1929精華小学校」/大阪市中央区難波3-2-26

藤山寛美さんが卒業したことで知られる難波の一等地にあった精華小学校。第大区第14番坂町小学校として明治(1873)年開校、明治33(1900)年に大阪市立精華尋常小学校と改称され、平成(1995)年に122年の歴史をもって閉校しました。平成16(2004)年に精華小劇場として活用、精華生涯学習ルームが設けられ、平成21(2009)年には50年振りに「精華盆踊り」が復活、閉校後も地域の人々に親しまれ、愛されつづけてきましたが、2013年2月、公募型プロポーザルによって成信(アデランス創業家による資産管理会社)が再開発事業者に決定。隣接する精華幼稚園跡地を含めた敷地面積は4217㎡で価格は35億8880万円だった。同社は校舎を取り壊し、ホテルを核とする高層複合ビルの建設をめざす。敷地北側の一部はコミュニティセンター用地として残される。2015年月、資金トラブルによる再開発事業の遅れが報道された。当初は2016年の完成を予定していた。


・・・とうとう小学校も幼稚園もなくなり、「お地蔵さん」だけがポツンと寂しく残っています。


◆「身代矢受地蔵尊」/大阪市中央区難波3-2

http://www.nambacentergai.jp/about/

北御堂に安置してありました当身代矢受地蔵尊に宝栄(1707年)に島の内に住む大問屋の主人鴻池善右衛門さんがその生涯に於いて徳を積まれ仏の如く慕われ又数々の施しをなされました事に対しその徳を忍んで当時の名工(作者不明)により面影をそのまま刻まれて慈愛あふれる御尊顔となりました。又霊験あらたかにして信仰する者は幸福を授けられましたので永く祭られて参りました。御堂は焼失するも御尊体は奇跡的に無事に安置されておりました。後年町内のある婦人の夢に現れた地蔵尊が水を欲しいと告げられたので花の筒に水を入れられた処その後水の絶えた事の無い地蔵尊の霊験に打たれ以後今日まで来ました事を伝え聞き昭和27年南盛会の有志の方々が相寄り子供達の健やかな成長と家内安全を願いこの地に御安置する事に成りました。


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【参考】興行映画発祥の地ミナミ

http://www.ebisubashi.or.jp/

大阪ミナミ映画祭は、現在なんばマルイの場所にあった南地演舞場」で、1899年(明治30)に日本で初めて興行としてフランスのリミュエール兄弟のシネマトグラフによる映画が上映されたことを顕彰するため、2005年に精華小劇場(旧精華小学校)を会場に、SRA主催で「大阪ミナミ精華映画祭」として始まりました。

南地演舞場の跡地には、東宝創業者小林一三氏が南街映画劇場を建設し増改築を経て1953年に座席数1,488席の南街劇場が誕生、翌年には「七人の侍」「ゴジラ」が大ヒットします。この地が興行映画発祥の地であることを後で知った小林一三氏がその時の気持ちを記したレリーフは、今も★「TOHOシネマズなんば1階に設置されています。千日前にも日本で最古の映画会社のひとつ三友倶楽部が創業し連鎖劇の製作に乗り出し、のちの帝国キネマ、新興キネマを経て大映へとつながっていきました。


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◆「榎地蔵尊」/大阪市中央区千日前2-8

「千日墓所」の奥に榎の大木があったようで、そこに榎神社がありました。現在、オリエンタルホテルの北側の筋に榎地蔵尊」の祠があり、それが痕跡のようです。「竜王尊」という幟がたっていますが、由緒書きには「明治初期に区画整理で榎神社の境内の大きな榎を切り倒そうとすると、そのたたりが職人にふりかかり、白蛇を祀ったら祓われた」と書かれています。


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◆「出世地蔵尊」/大阪市中央区道頓堀2新戎橋南詰

御堂筋の西側、現在の道頓堀2丁目付近は、九郎右衛門町とよばれ江戸時代より花街として賑わいました。そこに古くから祀られていたお地蔵さんは芸妓や俳優が出世を願い参りにきたことから「出世地蔵尊」と呼ばれたと言います。大阪大空襲で行方がわからなくなりましたが、終戦から数年後に土中から発見され現在地に祀られました。ご利益を求めて多くの人が訪れます。毎年地域の子どもたちの健やかな成長を願って地蔵盆祭りが開催されます。

※「地蔵盆千日供養・護摩法要

http://www.ittoko-minami.net/calendar.html

かつて、千日前はお寺の集まる町でした。現在では、すっかり昔の風情も消えてしましました。往時を偲び、ミナミの街の発展と商売繁盛を願い★「六地蔵巡りと護摩法要を行っています。


せん5


◆【上方浮世絵館】◆

542-0076大阪市中央区難波1-6-406-6211-0303

http://kamigata.jp/kmgt/

当館は、私設美術館ではありますが、世界で唯一の上方浮世絵を常設展示する美術館として、上方の歌舞伎や浮世絵にゆかりの深い、大阪道頓堀法善寺の門前に2001年4月28日にオープンいたしました。浮世絵(錦絵)といえば、江戸で制作されたものと思われる方が多いようですが、上方でも相当な数の浮世絵が制作されていました。海外では上方絵も一定の評価を得ており、ゴッホが数点所有していたり、大英博物館やカリフォルニア博物館などに多数所蔵されるなど、収集家・研究者もかなりの数にのぼります。この上方の浮世絵を、我々の手で、上方浮世絵に描かれたそのものが生きていたこの場所に復活させたい・・・その想いひとつで、この美術館をつくりました。浮世絵は江戸時代の大衆が見て楽しみました。その楽しみを、現在の私たちが共有できる喜びを分かち合いたいと思っております。