◆1975「田中記念館」
https://www.osaka-cu.ac.jp/ja/academics/institution/tanaka_hall
大阪市立大学の前身である大阪商業学校の卒業生で、大阪の実業家として教育振興に尽力された故田中吉太郎氏(1876(明治9)~1968(昭和43))のご寄贈により、1975(昭和50)年7月に開館しました。1967(昭和42)年5月、財団法人大阪市立大学後援会の募金活動に際して、同氏から大阪市南区東櫓町の土地1568平方米が寄贈されました。ご遺志にもとづき、教職員の福利厚生、および同窓生の親睦活動、ならびに広く学生も含め学術研究・教育・文化活動に供するため、その土地の売却資金をもって会館建設に着手し、故田中吉太郎氏の遺徳を永久にたたえるため、田中記念館と命名されました。8角形の大会議場、展示室、レストラン等が連なる斬新なデザインで、国際会議やコンサート、留学生の集いなどに幅広く利用されています。四季折々に表情を変える美しい芝生庭園や★メタセコイアの群植を含めた独特な景観は、長年キャンパスのシンボル的存在として親しまれています。
●レストラン「めたせこいあ」
http://osaka-cu.hanshin.coop/sh_foodshop/meta/index.html
田中記念館にあるレストランです。主に教職員の方々がご利用されるレストランですが、価格的にもリーズナブルなメニューもあり、学生院生のみなさんにも多くご利用いただいています。
【メタセコイア】(あけぼのすぎ)
https://www.osaka-cu.ac.jp/ja/academics/institution/tanaka_hall/photo
もと本学理学部教授、故三木茂博士が第三紀植物遺体から昭和16年に命名された植物である。それまでは、セコイア(常緑樹)の遺体と思われていたが三木博士が落葉樹と見抜かれた。第三紀(約7千万年前~約百万年前)までは、日本を含む北半球にかなり広く分布していたもので、第三紀末の気候変動で絶滅したものと考えられていた。しかし、昭和20年中国四川省磨刀渓で現存個体が同国の林務官王氏によって発見され、その種子がアメリカへ渡り苗木に育てられた。昭和24年我が国第1号のメタセコイアがアメリカのチェネー博士から贈られ皇居に植えられた。昭和25年メタセコイア保存会へアメリカから苗木100本が贈られ、日本各地に植樹され本学★「理学部附属植物園」にもその内の1本が植えられた。この田中記念館の樹林は昭和32年に本学「理学部附属植物園」から苗木を移植したものである。
【参考】「大阪商業講習所跡」
550-0012大阪市西区立売堀2丁目「阿波座南公園」
明治13年、新しい商業の学問の必要を感じた五代友厚ら先覚の町人によって開設され現市立大学の発祥となった(市制施行七十周年記念・昭和36年3月/大阪市建立)。
大阪商業講習所は、商業の町大阪に商業学校がなかったことから、商業教育機関の必要を感じた五代友厚らによって明治13年この地に開設された。この講習所は、翌明治14年には大阪府の管理となったが、のち市立大阪高等商業学校・大阪商科大学・大阪市立大学へと発展した。
●「阿波座南公園」ビオトープ
http://www.meiji-rengo.com/biotop.html
平成15年の春ごろから計画が具体的に進められてきました。ゆとりとみどり振興局西部方面事務所や(株)ランテック、シニア自然大学、ふらっとめいじの方々の協力を得ながら、7月よりワークショップを開催し、地域のみんなでどのようなビオトープを造るかを検討し、10月より着工。隔週の日曜日には、毎回50名を超える参加者で賑わい、女性部のみなさんの接待もあり、地域のコミュニティづくりに大いに役立ったと言えるでしょう。寒い日や雪の舞う中での作業もありましたが、子供たちや地域のみなさんの熱い思いが完成にむけて注がれ、平成16年4月4日完成を迎え、盛大に地域の皆さんで祝うことができました。
【JR「杉本町駅」】
大阪市住吉区杉本三丁目、西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線の駅、副駅名は大阪市立大学前。かつては、八尾駅が起点の★関西本線貨物支線(阪和貨物線)の終点であり、2004年までは線路保全のために1日1往復運行する回送列車★(錆取り列車)が運転されていた。同線は2004年以降休線され、2009年3月31日付で正式に廃線となった。またかつては、当駅で天王寺駅方面へと折り返す普通も運行されていた。
・・・さて、めったにこの辺りに来ることがないので、散策することにしました。★南海高野線「我孫子前駅」まで歩き、「住吉東駅」まで電車に乗りました。そして「住吉大社」周辺を散策します。
【南海高野線「我孫子前駅」】
558-0032大阪市住吉区遠里小野1-11-17/06-6671-4025(住吉東駅)
http://www.nankai.co.jp/traffic/station/abikomae.html
【南海高野線「住吉東駅」】
558-0045大阪市住吉区住吉1-8-49/06-6671-4025
http://www.nankai.co.jp/traffic/station/sumiyoshihigashi.html
住吉大社の裏門にあたる高野線の最寄り駅として、高野鉄道当時の明治33年(1900)9月に開業しました。駅構内は複々線となっており、高野線の円滑な運行を支えています。駅から難波方面へ進むと、天王寺駅前と住吉公園を結ぶ阪堺電気軌道上町線が線路上を交差しており、築堤上に神ノ木停車場があります。住吉大社へは駅の西側を徒歩で約5分。境内に入ると、第1本宮の裏に樹齢千年以上の楠と「南珺社」があります。毎月はじめの辰の日が例祭日であることから「初辰さん」と呼ばれ、初辰の日には商売繁盛・家内安全・除災招福を祈願する人でにぎわいます。
◆「すみよし村ぎゃらりー(住吉福祉会館)」/住吉区住吉1-9-16
http://www.city.osaka.lg.jp/toshikeikaku/page/0000162573.html
住吉の歴史が体感できる「すみよし村ぎゃらりー」は、住吉街道沿いの古い民家をリニューアルした建物。住吉にちなんだ住吉踊りの傘や昔の油屋の状況を展示している。明治初めの建築で大和棟町家。また、馬つなぎのある珍しい町家である。住吉街道沿いの古民家を上手に修復し、コミュニティセンター、ギャラリーとして活用している。明治期の商家の風情を感じることができる貴重な空間となっている。建物の裏にある空き地も気持ちが良い。
◆「池田家住宅」/住吉区住吉1-9-22
住吉大社の東参道4つ辻角にあり、表の屋根には高灯籠が置かれている。白壁の虫篭窓、防火防炎のため土壁のように柱を壁で厚く覆っている。老舗味噌屋の池田屋本舗として、今でも昔ながらの製法を伝えている。屋根に設置された高灯籠、白壁の虫篭窓等外観だけでも歴史を感じる。現在も昔ながらの製法で味噌作りをしているだけでなく、建屋の保存状態も良く、熊野街道沿いにあるので、江戸期が偲ばれる。国の登録有形文化財に登録されている。
◆「ハット屋パン」/住吉区上住吉2-15-30
紀州街道にある池田屋老舗味噌屋前にあるソフトクリームのお店。大きなソフトクリームの置物が目印。ハット屋パンと言う名前ですが、いまはパンは売っていない。30年ほど前にはカツをはさんだパンや砂糖をまぶしたパンを売っていた。創業50年ほど、今は夏のソフトクリームと冬の大判焼きだけ。
・・・「旧街道」散策は、古い建物や史跡があって楽しいですね。




