◆味生神社
566-0043摂津市一津屋2-18-12/06-6349-8721
当社は、もと宇宮内に在り、天照大神、若一王子、八幡大神を祀り、鯵生宮と称した。創建年代は詳らかでないが古くより在りし、延暦4年(785)神崎川を改修するに及び玉垣を分けて若一王子を現在の処に祀った。当社の地は、熊野詣の通路にあたり京よりの往来が多かった。慶応3年(1867)に天照大神・素盞男命・八幡大神の三神を祀り、味生神社と称した。
●宮ノ下渡し跡
河内大庭大と摂津嶋下郡一津屋村宮ノ下を結ぶ淀川渡船場で、戦国時代末の永禄年間(1558年~69年)から存在したと伝えられており、川幅約600メートルの渡しであった。宮ノ下の小字名の駒頭から「駒頭渡し」とも呼ばれていた。昭和29年に日本で最初の有料橋である鳥飼大橋の完成によって姿を消したが、鳥飼の渡しとともに、摂津と河内を結ぶ交通上の重要な役割を果たした。
★1913「摂津市立第6集会所(旧一津屋公会堂)」/指定年月日:20100615
566-0043摂津市一津屋2-18-13/06-6349-1360(上坂)
http://www.city.settsu.osaka.jp/0000004795.html
淀川堤防沿いに所在する建物で、建物のすぐ脇には、味生神社という由緒ある神社があります。大正2年(1913)に芝居小屋として建築され、当時は旅回りの劇団や地元青年団の芝居などが盛んに行われていたようです。建物は平成23年6月15日に、第1号の摂津市指定有形文化財に指定されました。摂津市が、この建物を指定した根拠の一つには、建物の希少価値が上げられます。大阪府において、大正時代にさかのぼる芝居小屋で、現存しているものは、旧一津屋公会堂の他、現在確認されていません。この建物が現在も壊されずにこの場所に建っているのは、地域の人々によって長く大切に守られてきたあかしです。
旧一津屋公会堂のすぐ近くには宮ノ下渡し跡という文化財の説明看板があります。宮ノ下渡し跡は、戦国時代の永禄年間(1558~1570)に存在していたことが知られる古い渡し場です。昭和29年の鳥飼大橋の完成まで使用されていました。渡し跡は、旧一津屋公会堂のある場所と、となりの守口市大庭とを結んでいた渡しで、川幅も約550mあったと伝えられています。旧一津屋公会堂の建っている場所は、摂津市と大阪市や守口市とを結ぶ交通の要所であったようです。当時は今より堤防も低く、道々には出店が立ち並び、賑やかに人々が行き交っていた風景が想像できます。大正2年、この建物が建てられた背景には、こうした立地条件が要因の一つであったと考えられます。建物は大正2年、一津屋公会堂として誕生しました。地元の芝居好きの農家、約160世帯がお金を出し合って作った、地元が生みだした建物です。昭和43年に一津屋の部落総代から市が建物の寄付を受け、市の所有する建物となりました。昭和47年には現在の名称である摂津市立第6集会所となります。建物が建ってから戦後しばらくまで、旅回りの劇団や地元青年団の芝居などが行われていましたが、テレビなどの普及により、昭和56年の青年団の公演を最後に芝居上演がなくなりました。しかし、「大正時代の面影を残す公会堂を地域の財産としてアピールしよう」と、地元自治連合会の方々が中心となって、平成7年に39年ぶりとなる芝居が上演されました。また、平成11年にも出し物が行われました。これが最後の芝居公演となり、現在は地元の集会所として利用されています。芝居小屋の機能としては、舞台を有していること、楽屋として利用できる地下室があること、桟さじ敷き席せきがあること、黒くろ御み簾すがあることの大きく4点が上げられます。桟敷席とは2階に設けられた観覧席で、1階の観覧席に比べ、一段高い位置から舞台を見下ろすことができます。黒御簾とは、舞台上手側にある黒い板で囲われた部屋です。ここでは演技のタイミングにあわせて、芝居効果を高める長唄が歌われたり、効果音として太鼓、鼓などの楽器が演奏される音響施設です。このように旧一津屋公会堂は、大正時代の芝居小屋のたたずまいを現在に残している貴重な建物といえるでしょう。
・・・摂津まで来て「新幹線」を見ないで帰るわけにはいきません。
◆「新幹線公園」/摂津市安威川南町
http://www.city.settsu.osaka.jp/0000000073.html
安威川とJR貨物ターミナルとの間の安威川堤防上にあり、新幹線車両と電気機関車が展示してあります。中央環状線と新幹線公園の間の約400mは桜のシーズンともなると、きれいな桜のトンネルとなり、多くの人で賑わいます。「0系新幹線車両」は、大阪ミュージアム構想ベストセレクション(その他展示品部門)で知事イチ押しに選ばれています。毎月第2・第4日曜日午前10時から12時まで午後2時から午後4時まで一日2回、内部公開しています。この時には、新幹線車両の車内はもちろんのこと運転席まで入り運転席に座ることもできます。電気機関車もおなじように運転席に入ることができ子供たちに大人気です。
◆JR東海新幹線「鳥飼車両基地」/摂津市安威川南町
東海旅客鉄道(JR東海)関西支社に属する東海道・山陽新幹線の車両基地・車両工場群の総称で、以下の施設からなる。単に鳥飼基地、あるいは鳥飼車両所などとも呼ばれる。
・大阪仕業検査車両所/仕業検査を受け持つ
・大阪修繕車両所/修繕を受け持つ
・大阪交番検査車両所/交番検査を受け持つ
・大阪台車検査車両所/台車検査を受け持つ
★地盤沈下とJR東海新幹線鳥飼車両基地井戸掘削問題
http://www.city.settsu.osaka.jp/0000008405.html
昭和40年代、鳥飼車両基地周辺の新在家、鳥飼八町において著しい地盤沈下が観測されました。地盤沈下の原因は、地下水の過剰な汲み上げによる地盤の収縮であると考えられていることから、2,000~2,500t/日の地下水を汲み上げていた東海道新幹線鳥飼車両基地(当時国鉄)に対し、地下水の汲み上げ中止を要請し、工業用水及び上水道の利用に切り替えてもらうとともに、昭和52年9月に国鉄と、「地下水を汲み上げない」旨の記載のある環境保全協定を締結しました。本協定については、国鉄の分割民営化後もJR東海に承継されています。平成26年6月にJR東海鳥飼車両基地で井戸を掘削し、地下水を利用する計画があるとの情報があり、JR東海に対し事実確認をしたところ、災害時における水源確保とコスト削減を目的に、鳥飼車両基地の茨木市域(敷地の約3%)において井戸を掘削し、上水道に変えて地下水を利用する計画があるとの説明がありました。本市といたしましては、今回の掘削工事が環境保全協定に反するとして、協定の遵守を求めてきました。しかしJR東海は、井戸掘削予定地が茨木市域であることから、環境保全協定の適用範囲外とし、平成26年9月30日には井戸掘削工事に着手しました。そのため、平成26年11月14日に環境保全協定の遵守と、井戸の掘削中止を求め、JR東海を提訴しました。
・・・「共存共栄」に向けて、双方の誠意ある理解と協力を期待します。