・・・、「近大マグロ」を紹介するきっかけになったのが、近鉄「難波駅」へ降りる階段の頭上にある大看板でした。実は、「近大」の横には「桃大」の看板があったのです。「マグロ」ではありませんが、同じく「サカナ」だったので、いつか紹介したいと思っていたのです。そして、「いずみの国歴史館」のすぐ横が「桃山学院大学」というチャンスがやってきました。
★桃大チャペル正面に飾られているステンドグラスは、本学の存在意義を示すシンボル的なデザインです。学院章には、イエス・キリストが漁師であった弟子のアンデレに語りかけた言葉である「SEQUIMINI ME」(ラテン語で我に従え)が刻まれており、この言葉に続いてイエスは「人間をとる漁師にしよう」(聖書マタイ4:19)と語ります。本学はこの言葉を、建学の精神である「自由と愛」を基本とした教育を通して、良い影響や感化を与える人間に成長させることであると理解しています。ステンドグラスの魚は、その教えによって影響を受けた人々を象徴しているのです。
◆桃山学院大学
594-1198和泉市まなび野1-1/0725-54-3131
桃山学院のルーツは、明治維新の頃に来日した英国人宣教師たちの活動にはじまります。1869年(明治2)英国聖公会宣教協会(CMS)による最初の日本伝道が長崎で開始されました。桃山学院の創設に深くかかわることになるワレン師(Charles Frederick Warren)は、その4年後に大阪に到着しました。ワレン師は1841年3月12日、英国ケント州のマーゲートにうまれました。弱冠18歳で燃えるような外国伝道を志し、やがて香港に派遣されて貴重な経験を積んだ後、一旦帰国。1873年(明治6)32歳の時にいよいよ日本(神戸)の土を踏んだのです。師は大阪の★「川口外国人居留地」(現在の西区川口町)に居を定め、26年間にもおよぶ日本各地における意欲的な伝道活動を開始しました。
★「竹鶴政孝とリタ」展
http://www.andrew.ac.jp/nenshi/nenshi1.shtml
期間:3月17日(火)まで※土・日・祝日は除く/時間:9:00~17:00
場所:学院史料展示コーナー(聖ペテロ館2階エクステンションセンター横)
NHK連続テレビ小説「マッサン」が好評です。2014年11月27日、28日放送分では、会社を解雇され、浪人の身となったマッサンに「住吉学院」への就職話が舞い込みました。この「住吉学院」とは?史実では、摂津酒造を退職した竹鶴政孝はしばらくの間、マッサンと同じく浪人生活を送ります。この時、妻リタが桃山中学校校長のローリングス師の夫人と親しく交流しており、政孝の失業を案じたローリングス校長は、彼を化学の教員として採用しました。1922年(大正11年)の秋から、翌年の春までの数か月間のことでした。この後、政孝は鳥井信治郎(サントリー創業者)に請われ、1923年(大正12年)6月に寿屋に入社し、ウィスキー造りを本格化することとなります。史実と照らし合わせるとドラマ中の「住吉学院」とは「桃山中学校」のことだとお分かりいただけると思います。現在、本学では、その功績と竹鶴政孝氏と妻のリタさんの歴史を振り返る「竹鶴政孝とリタ」展を開催中です。
※「桃山学院史料室」
学院に関係する史資料を収集・整理・保存・公開することを目的として設立されています。史資料は「桃山学院史料室・資料収集方針」及び「桃山学院文書保存規程」により収集しています。収集した史資料 は整理・分類された上、学院史料室の資料室(和泉と昭和町)に保管されています。そして、「年史紀要」の継続刊行や企画展示などにより研究成果の公表や所蔵史資料の公開を行っています。また、所蔵する史資料を内外の研究者等に公開することによって、学院史、教育史、キリスト教史等の研究ために貢 献することを目的としています。
【参考】竹鶴政孝「私の履歴書」『日本経済新聞1968年5月』より
・・・それからしばらく浪人生活をした。大正11年(1922)から12年(1923)の初めにかけての数カ月間だったが、私にとってはウィスキーづくりを離れた一生で一度の生活だった。その間は学校の先生をした。帝塚山近くにイングランド出身の牧師、ローリング氏が校長をされていた桃山中学があった。妻のリタが、ローリング夫人と親しく交際していたため、失業を心配されて私を桃山中学の化学の教師に採用されたのである。一方、妻のリタも帝塚山学院で英語を教えるかたわら、英語やピアノの個人教授まで頼まれると引き受けていた。
竹鶴政孝とリタをモデルにしたNHK連続テレビ小説「マッサン」が、2014年9月29日(月)から始まりました。この機に、桃山学院と竹鶴政孝・リタの関係を学院教職員・学生に知っていただくため、今回の展示を企画いたしました。学院史料室が所蔵する資料が中心となりますが、ぜひ観覧いただければ幸いです。なお、帝塚山学院から最近発見された竹鶴リタに関する貴重な資料を寄贈していただきました。こちらの資料も展示させていただいております。この場を借りてお礼申し上げます。(桃山学院史料室)
【篠田守男】(1931~)
東京生まれ、青山学院英文科中退。67年まで国立産業工芸試験所に籍を置く。彫刻の空間構成を試行し、モダンアート展に出品。その間63~64年シカゴ美術学校に学ぶ。日本国際美術展、宇部市現代彫刻展などに出品。66年ベネチア・ビエンナーレ展に出品、第9回高村光太郎賞を受賞。以後、第1回現代日本彫刻展神奈川県立美術館賞、第2回彫刻の森美術館賞、第4回朝倉文夫賞など次々に受賞。000年には国際彫刻センター(ISC)優秀彫刻教育者賞をアジア人として初受賞。カリフォルニア大学ロスアンゼルス校客員教授、筑波大学教授、金沢美術工芸大学教授等を歴任。海外での評価も高く、メトロポリタン美術館、ルイジアナ美術館など多くの美術館にコレクションされています。
【生形貴春】(1948~)
大阪市生まれ。1971花園大学文学部日本史学科卒業。
1996大阪市都市環境アメニティ表彰受章(なにわ筋Twinsに作品設置)、1997第25回長崎市野外彫刻賞受賞(長野冬季オリンピック記念野外彫刻制作/篠ノ井駅前広場)1998第15回神戸須磨離宮公園現代彫刻展大賞受賞(神戸西神南に作品設置)1999第18回現代日本彫刻展毎日新聞社賞受賞(ときわ公園野外彫刻美術館/宇部市)2000第7回朝来野外彫刻展in多々良木2000準大賞受賞(あさご芸術の森美術館/兵庫県)2001第19回現代日本彫刻展毎日新聞社賞受賞(ときわ公園野外彫刻美術館/宇部市)




