・・・「難波橋筋」と「三休橋筋」の中間に位置するのが「中橋筋(玉屋町筋)」です。
※中橋
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000031027.html
江戸時代、中橋は長堀橋と心斎橋の中間にあったことからこの名前がつけられた。現在、中橋の親柱が中央分離帯の中に据えられている。
◆大正末期「土山人」06-6202-0069「鮨れんげ」06-6223-3008
541-0044大阪市中央区伏見町2-4-9
築百年以上の郷愁誘う古民家で、本格的な手打ち蕎麦と料理、選び抜かれたお酒をお楽しみください。厳選された蕎麦の実を使った手打ち蕎麦、全国各地の契約農家より、一年分の蕎麦の実を仕入れています。温度・湿度にこだわった品質管理をし、石臼で自家製粉して、手打ちされた風味豊かなお蕎麦です。
隣のお店が「鮨れんげ」、ひっそりとたたずむ隠れ家的お寿司屋さん。美しい白木のカウンターに、器はアンティークのラリックやバカラ、柿右衛門などのコレクション。江戸前の1つ1つ丁寧に仕事がされたお寿司を堪能できます。
◆明治末期「菊寿堂義信」
541-0043大阪市中央区高麗橋2-3-1/06-6231-3814
http://www.inlifeweb.com/spwagashi_index_e.html
今も代々伝わる和菓子を伝統の製法で作り続ける「菊寿堂義信」。その歴史は約180年前、天保年間の創業から始まり、現在は17代目店主が伝統を受け継いでいる。昔ながらの手法で手間ひまかけて作られるお菓子の種類はざっと120種類以上。名物は予約必須の『大福』など多岐にわたる。その中でも遊び心あふれる銘菓『梅干し』は、見るからに酸っぱくつばが出てきそうな、木樽に入った真っ赤な姿は梅干しそのもの。実は、梅干しをかたどった甘いお菓子。備中白小豆の白あんを求肥で包み、赤い羊羹をかけた上に砂糖を塩のようにまぶし、本物の紫蘇をのせている。「すっぱいものが甘かったら面白いはず」と、先々代店主が考えた愛嬌たっぷりのアイデア菓子は、もっちりとした求肥に包まれた白あんの甘さと紫蘇の風味の組み合わせが抜群。
◆1964「柳湖堂ビル」
541-0043大阪市中央区高麗橋2-3-5
柳湖堂ビル1階・(株)とりゐや美術店/06-6226-0607
主に横山大観、富岡鉄斎など近代絵画、鑑賞陶器・日本画・洋画を取り扱っています。
※柳湖堂ビルB1・イタリアンバールCottaCotta/06-6231-7788
http://ameblo.jp/italianbar-cottacotta/
◆バー「アチャコ」
541-0043大阪市中央区高麗橋2-4-12/06-6202-7188
http://tanpopo-tane.com/detail.asp?id=7096
この近辺では一番目立つ「真っ赤」なビル★花菱アチャコさんのご子息が経営されているそうです。オフィス街では珍しく、タコヤキのテイクアウトもでき、店内ではお酒を飲みながら、ゆっくりと、タコヤキを食べれるタコヤキBARです。タコヤキは、お腹いっぱいの時でも一皿ペロッと食べれるほど人気のメニュー。PM 9:00以降は、いつもワイワイ盛り上がって満席の恐れがありますので、早い時間に寄ってみて下さい。
◆1946「荒木蓬莱堂」
541-0043大阪市中央区高麗橋2-4-12/06-6203-6719
http://www1.ocn.ne.jp/~arakihrd/
私どもは明治八年の創業以来、御結納用品をはじめ、日本人が受け継いできたさまざまな儀式・儀礼にかかわる品物の販売と、関連するしきたり・作法についての情報提供を行って参りました。時の流れにともない、伝承の儀礼にも変化が求められます。数多くのお客様と接する中で、古来のしきたりと多様な現代の生活様式との接点を見つける努力を積み重ねて参りました。御結納用品の場合、大きく関西型と関東型に分けられることが常識のようになっておりますが、こちらでは地域の枠を超えてお使いいただくことのできる、よりスマートなかたちのものを選りすぐってご紹介いたします。
【7】1938「中村健法律事務所」/設計:村野藤吾
541-0041大阪市中央区北浜2-4-10/06-6231-0645
中村健太郎法律経済事務所、間口が狭いビルのうえに、現代的な外観をしていますが、村野藤吾さんの渡辺節建築事務所から独立して間もないころの設計です。昭和初期のモダニズム様式を取り入れながら、白いタイル貼りの壁面に、玄関上にアイアングリルを配するなど、細部にこだわりを感じさせる鉄筋コンクリート造り、3階建。
◆1937「高麗橋吉兆本店」/設計:平田雅哉
541-0043大阪市中央区高麗橋2-6-7/06-6231-1937
http://www.kitcho.com/osaka-hon/
1937年(昭和12)茶道具商・児島嘉助の店舗兼住居として、当時の数寄屋造りの第一人者・平田雅哉氏によって建てられました。吉兆の創業者・湯木貞一氏の手に渡り、高麗橋吉兆としてオープンしたのが1949年(昭和24)です。ここが吉兆だとわかるような大きな看板はなく、玄関の右上に小さな表札があるだけです。
【14】1912「オペラ・ドメーヌ高麗橋」/設計:辰野金吾
541-0043大阪市中央区高麗橋2-6-4/06-6220-1500
明治45年に『旧大阪教育生命保険ビル』として誕生。赤煉瓦の外壁に白い石によってボーダーラインを描いたデザインは辰野式とも呼ばれる。レンガはイギリスから輸入されたもので、過去幾多の戦火や震災にも耐え、重大な欠損もなく明治時代後期の風格ある外観を維持する貴重な建物である。2008年(平成20年)11月より結婚式場として使用。以前はシェ・ワダという名のレストランだった。株式会社プレミアリゾートオペレーションズがマスターリースし、ウェディングの運営を行なっている。




