・・・OAP(大阪アメニティパーク)まで来たのですから、久しぶりに「造幣局」まで行ってみましょう。どうして「野球」と関係あるかは、後のお楽しみです。
◆旧桜宮公会堂 http://produce.novarese.jp/smk/
530-0043大阪市北区天満橋1-1-1/06-6881-3330
桜宮公会堂の玄関は、旧造幣寮鋳造所の正面玄関を移したものです。明治22年5月、建築された鋳造所正面玄関は、泉布観とともにわが国最古のヨーロッパ風建築です。昭和23年11月、桜宮公会堂と改められ、市民の集会場となりました。桜宮公会堂(旧ユースアートギャラリー)では民間活力を利用し、2013年4月15日よりパーティーレストラン「旧桜宮公会堂」として一般に公開されています。
◆泉布観/530-0043大阪市北区天満橋1-1-1
http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/keizaisenryaku/0000208479.html
造幣寮の応接所として明治4年に建設されたものです。イギリスの古典的なコロニアル様式を取り入れており、2階建ての本格的洋風建築としては、わが国最初のものだそうです。明治天皇が明治5年6月4日に滞在された際、名称はまだありませんでした。天皇がこの建物の名を尋ねられた時、側近の日下部少内史があわてて心斎橋の三木書店へ馬車を走らせ、参考書の中より「宝貨行如泉布」の句を見つけ、「泉布観」とお答えしたそうです。泉布とは、貨幣の古称だそうです。
1917年(大正6年)には大阪市に移管され、1956年(昭和31年)には国の重要文化財に指定されました。1962年~1964年(昭和37年~39年)に、保存のための補修工事。2010年度よりふるさと納税の寄付金を原資として、外観補修や庭園整備を行い、2013年3月29日から31日に3年ぶりに内部を公開し、4月15日より外観を常時公開しています。
◆桜宮橋
http://www.city.osaka.lg.jp/kita/page/0000000959.html
北区と都島区を結ぶ橋である。銀橋ともいう。これは橋全体が銀色に塗られているためであり、大阪人にはこの愛称の方が馴染んでいる。はじめて橋が架かったのは昭和5年(1930)9月。第一次都市計画事業・天満蒲生線の附属橋梁として完成したこの橋は、戦前では国内最大のアーチ橋であった。橋長187.8 メートル、幅員22メートルを誇る鋼アーチ形式。当時としては破格の128万円の工費と3年の工期がかけられた。今は、この橋上を国道1号線が走る。意匠指導は武田五一、橋の両たもとにロマネスク風の昇降口が設けられている。風情があり、橋の景観を高めている。一度訪ねてみてはいかがだろう。桜宮橋が成立する以前、少し上流に澱川橋(淀川橋ともいう)が架かっていた。明治35年(1902)10月に架けられたが、桜宮橋の完成とともに姿を消した。さて、橋名ともなった桜宮。もともとこの付近の堤防は桜の名所で、『摂津名所図会大成』に「西の岸ハ川崎の堤より北につづきて木村づつみ・堀川の樋の口・長柄の辺まで」桜並木が続き、花の時期には「都下の貴賎陸路をあゆみ船にて通ひ諷ふあり舞ふありて終日遊宴す。げに浪花において花見第一の勝地といふべし」と勝されている。また、花見時には、桜宮社頭から対岸へ船渡しがあり「桜の渡し」と呼ばれていた。こうした花見客を相手に農家が酒肴を出すようになり、『淀川両岸一覧』には「その塩梅鄙に似ずとて遊客しばしば賞翫す。なかんずく泥鰌(どじょう)汁をもって名物とせり」と紹介された。桜宮境内の料亭では、夏だけ出された荷葉(はす)飯も名物とされた。桜宮堤下には「青湾」と呼ばれた小湾があった。水が清淡で茶の湯に最適なもので、豊臣秀吉も好んで用い、隠元、売茶翁、田能村竹田など雅人も愛用した。それほど清らかな流れであったのだろう。明治初年にはこの付近の水が飲料水として大阪市中に販売されており、明治28年(1895)になって大阪市で最初の、国内でも4番目となる上水道水源地・桜宮水源地が設けられた。その給水能力は61万人分もあった。市域拡大に伴い柴島上水道が完成すると大正9年(1920)その役目を終えた。
◆造幣局本局
530-0043大阪市北区天満1-1-79/06-6351-5361
創業時の造幣局の建物は、イギリス人の建築技師ウォートルスが設計及び工事の監督をしました。明治元年(1868)11月起工、明治3年11月に竣工しました。製造された貨幣や各種資材の輸送は、淀川の水運を利用して行われていたので、建物の向きは淀川に面し、東向きになっていました。昭和初期になると、造幣局周辺の交通網や輸送手段が整備発達し、淀川を利用することがなくなったので、国道に面して北向きとされました。
◆【造幣博物館】◆
http://www.mint.go.jp/enjoy/plant-osaka/plant_museum.html
造幣博物館は、明治44年(1911年)に火力発電所として建てられた建物で、造幣局構内に残る唯一の明治時代のレンガ造りの西洋風建物です。昭和44年(1969年)に建物の保存を図り、当局が保管していた貴重な貨幣などを一般公開し、造幣事業を紹介するため当時の外観をそのままに改装し、「造幣博物館」として開館しました。平成20年(2008年)より「人に優しい博物館、環境に配慮した博物館、魅せる博物館」を目指し、展示や設備に最新の手法を導入し、皆様方により親しんでいただけるよう大改装を行い、平成21年(2009年)4月にリニューアルオープンしました。また、構内ミントショップにてミュージアムグッズ(絵葉書等)の販売も行っています。
※子ども版 http://www.mint.go.jp/kids/go.html
・・・明治4年に造幣局が作られた当時の「正門」や「ガス灯」など、博物館の外には様々な史跡もあります。そして、館内の展示は圧巻です。そして、最も興奮したのが、
http://www.mint.go.jp/buy/coinset-online/coinset-online-syuryou
●2007セントラルリ-グ優勝記念読売巨人軍貨幣セット
この貨幣セットは、2007年のプロ野球セントラルリ-グの優勝を記念したものです。貨幣セットは、平成19年銘の未使用の500円から1円までの6種類の通常貨幣と優勝球団のロゴ・マ-ク等をデザインした丹銅製年銘板1枚をプラスチックケ-スに組み込み、外装紙ケ-スに収納しています。
●2007パシフィックリ-グ優勝記念 北海道日本ハムファイタ-ズ 貨幣セット
この貨幣セットは、2007年のプロ野球パシフィックリ-グの優勝を記念したものです。貨幣セットは、平成19年銘の未使用の500円から1円までの6種類の通常貨幣と優勝球団のロゴ・マ-ク等をデザインした丹銅製年銘板1枚をプラスチックケ-スに組み込み、外装紙ケ-スに収納しています。
●2006セントラルリーグ優勝記念中日ドラゴンズ貨幣セット
この貨幣セットは、2006年のプロ野球セントラルリーグの優勝を記念したものです。貨幣セットは、平成18年銘の未使用の500円から1円までの6種類の通常貨幣と、優勝球団のロゴマーク等をデザインした丹銅製年銘板1枚をプラスチックケースに組み込み、外装紙ケースに収納しています。
●2006パシフィックリーグ優勝記念北海道日本ハムファイターズ貨幣セット
この貨幣セットは、2006年のプロ野球パシフィックリーグの優勝を記念したものです。貨幣セットは、平成18年銘の未使用の500円から1円までの6種類の通常貨幣と、優勝球団のロゴマーク等をデザインした丹銅製年銘板1枚をプラスチックケースに組み込み、外装紙ケースに収納しています。
●プロ野球誕生70年2004プルーフ貨幣セット
昭和9年(1934年)に日本プロ野球が誕生し、以来多くの皆様に愛され今年で70年目の節目を迎えます。造幣局では、これを記念したプルーフ貨幣セットを販売することとしましたのでお知らせします。この貨幣セットには、70年目に当たる平成16年銘の500円から1円まで計6枚のプルーフ貨幣と表面に元読売巨人軍故沢村栄治選手及び元阪神タイガース故景浦将選手をデザインし、 裏面にはプロ野球誕生70年のロゴマークをカラー印刷した銀製カラーメダルを特製革ケースに組み込んだものを、 現行12球団の優勝の記録写真とマスコットマークなどを配した紙ケースに収納しております。なお、プルーフ貨幣とは、特殊な技術を用いて製造した貨幣で表面に光沢を持たせ、模様を鮮明に浮き出させた貨幣です。
【参考】松本徽章工業株式会社
111-8566東京都台東区元浅草1-12-2/0120-153-154
http://www.matsumoto-kisho.co.jp/
2012セントラルリーグ読売ジャイアンツ優勝公式記念メダル
http://www.matsumoto-kisho.co.jp/html/giants/2012/2012giants_c_v.html
プロ野球史上最多を誇る34回目のリーグ優勝に輝く、読売巨人軍の栄光を讃え、唯一の公式記念メダルが発行されます。この公式記念メダルは、読売巨人軍のご協力の下に発行される貴重な逸品で、メダル表面に、実写された写真をもとに、原監督の歓喜あふれる胴上げシーンを描き、裏面に、優勝公式エンブレムを謹刻いたしました。
・・・ということで、あえて「野球ミュージアム」として「造幣博物館」を位置づけたのです。あはは。




