・・・この機会に、「豊中」まで行ってみることにしました。
◆豊中グランド跡地/豊中市玉井町3丁目
http://www.city.toyonaka.osaka.jp/joho/shoukai/gaiyou/ichiban/baseball.html
毎年のようにドラマがある夏の高校野球大会。高校野球といえば舞台は甲子園。でも実は、大会の前身である全国中等学校優勝野球大会が初めて開催されたのは、現在の玉井町3丁目にあった豊中グラウンドなのです。大正4年(1915年)のことでした。豊中グラウンドは、明治43年(1910年)に開通した箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)が、沿線の集客のため大正2年(1913年)5月に建設したものです。赤レンガの外壁に囲まれたグラウンドは2万平方メートルと広く、当時としては日本一の設備を誇ったそうです。第1回大会の参加校は10校。5日間の熱戦のすえ、京津地区代表の京都府立第二中学(現・鳥羽高校)が優勝しています。当時大阪では野球がたいへんな人気で、たくさんの観客が詰めかけました。けれども観客があまりに多かったため収容しきれず、第3回大会からは、会場は西宮の鳴尾球場に移されることになりました。甲子園で行われるようになったのは、大正13年(1924年)の第10回大会からです。豊中グラウンドは大正末期に取り壊され、跡地は住宅街に変わりました。今も近くの民家の塀に、豊中グラウンドの外壁の一部といわれる赤レンガがわずかに残っています。昭和63年(1988年)、ちょうどグラウンドの正門の向かい側にあたる一角を高校野球メモリアルパークとして整備しました。レンガ塀には、第1回大会始球式のレリーフがはめこまれています。時は流れ、市は平成8年(1996年)に豊中ローズ球場(曽根南町)を整備しました。毎年7月には夏の高校野球大阪府予選が行われ、再び豊中に球児たちの歓声が響いています。
【碑文】豊中グラウンドの沿革/右側の社告は、大正4年(1915)、第1回全国中等学校優勝野球大会を豊中グラウンドで開催するにあたって大阪朝日新聞に掲載された社告である。中央部のブロンズレリーフは当時の朝日新聞社村山龍平社長の始球式姿で、まさに歴史的な第1球といえる。村山龍平翁は「青少年を育てるスポーツとしての野球を」という立場から大会開催を決断した。これが今日の高校野球の精神として受け継がれている。大会は8月18日から25日まで全国からの代表10校が参加して開かれ、優勝は京都ニ中が手にした。第2回大会は12校が参加して大正5年8月16日から20日まで開かれ慶応義塾普通部が優勝した。翌年の第3回大会から舞台は西宮の鳴尾球場に移ったが、豊中グラウンドは野球史上に大きな足跡を残した。この豊中グラウンドには大正2年(1913)5月1日、綿畑などであった140M四方、面積19600平方Mの土地に箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)によって建設された。周囲は高さ1M余の赤レンガ塀で、木製の観覧席のほかに応援団席もあり最高の施設だった。その後住宅地として分譲され、このメモリアル パークは当時のグラウンドの正門前である。豊中で始まった全国中等学校優勝野球大会昭和13年(1948)の第30回大会から全国高等学校野球選手権大会と改称され、歴史を重ねて今年70回大会を迎えた。これを記念してメモリアルパークを建設し「高校野球発祥の地」として永く保存するものである。
【大阪朝日新聞社・社告】本社主催 全国優勝野球大会
来る八月中旬豊中に於て挙行、各地代表中等学校選手権仕合
野球技の一度我国に来りてより今だ幾何ならざるに今日の如き隆盛を観るに至れるは同技の男性的にしてしかも其の興味と其の技術とが著しく我国民性と一致せるに依るものなるべし、ことに中学程度の学生間に最も普く行はれつゝありて、東海五県大会関西大会等を始めとし各地に其の連合大会の挙を見ざるなきに至れり、然も未だ全国の代表的健児が一場に会して溌剌たる妙技を競ふ全国大会の催しあるを見ず、本社は之を遺憾とし茲に左の条件により夏期休暇中の八月中旬を卜し全国各地方の中等学校中より其代表野球団、即ち各地方を代表せりと認むべき野球大会に於ける最優勝校を大阪に聘し豊中グラウンドに於て全国中等学校野球大会を行ひ以て其選手権を争はしめんとす(詳細は逐次発表)
・参加校の資格はその地方を代表せる各府県連合大会に於ける優勝校たる事
・優勝校は本年大会に於て優勝権を得たるものたる事
・選手の往復汽車又は汽船賃は主催者に於て負担する事
【レリーフ】「球史ここに始まる」始球式
制作:日本芸術メダル協会会員★田村務1988年8月
★田村務
1948 大阪市に生まれる
1971 京都市立芸術大学卒業
1983 FIDEM国際芸術メダル大会参加
1989 フランス芸術メダル研修
1992 FIDEM大会出品参加(イギリス・大英博物館)
1993 パリ・デュセルドルフ研修(フランス・ドイツ)
1996 FIDEM大会出品参加(スイス・ヌーシャテル)
2005 梅光学院大学特任教授
http://www.baiko.ac.jp/university/department/child/teacher
2009 「大人がなんじゃい!田村務彫刻展」(山口・梅光学院大学博物館)
【アトリエ】599-8111堺市東区日置荘北町1丁47-11
【作歴】
・農業担い手育成センター・ホール壁画 野焼き陶板制作(山口・福栄村)
・神戸市立博物館・外壁ブロンズレリーフ「南蛮屏風」制作・正面玄関電鋳レリーフ「神戸海岸繁栄図」制作(神戸市中央区京町)
★「河口彗海顕彰立像」制作(堺市)
★第65回全国高校野球選手権大会事業「白球の森」記念モニュメント『青春の栄冠』制作(西宮市・鳴尾浜臨海公園)
・アンゼルセンハウス前庭ブロンズ「どんぐりの木の下で」制作(京都)
・住宅都市整備公団若山台団地野焼陶板「からす天狗」制作(大阪島本)
・小野田市新沖緩衝緑地中央公園モニュメント「あ・そ・ぼ」制作
・奈良県第二浄化センター・スポーツ広場竣工記念ブロンズ制作
★第70回全国高等学校野球選手権記念大会事業「高校野球発祥の地」豊中グラウンド跡地「球史ここに始まる」制作(豊中市玉井町)
・日本赤十字岐阜県支部「救護看護婦」像制作(岐阜県)
・東四国国体記念うずしお橋親柱競技者ブロンズ像制作(徳島県鳴門市)
・草津駅前A地区再開発事業エルティ932・歩道石彫制作
★武野紹鴎ブロンズ像制作(堺市・大仙公園)
★第75回全国高等学校野球選手権記念大会事業「鳴尾球場跡顕彰記念碑」
・青森県岩木町「世界一の桜並木形成事業」シンボルモニュメント制作
・大井ハイランド中央公園モニュメント制作(岡山県笠岡市)
・下関彫刻シンポジウム「松本清張文学碑」制作(山口県下関市)
・大阪府まちづくり功労者表彰記念碑制作
・「私は自分を信じて走り続けた」制作(下関陸上競技場)
★全国高校ラグビー大会80回記念モニュメント(大阪・阪急豊中駅前)
1918年に「第1回日本フートボール優勝大会」が開催されたのが、ここ豊中。当時のフートボールとは、ラグビーフットボールとアソシエーションフットボールの総称でまだ珍しいスポーツだったそう。現在は名称を変え花園ラグビー場で行われているが、この大会が80回を迎えたことを記念したブロンズ彫刻が、駅前広場2 階に設置されている。
・第71回~76回全国高等学校野球選手権大会・優勝盾・メダル制作(夏の高校野球)
・’98~ジャパンパラリンピック大会メダル「生きる・輝け」「嵐」制作
・梅光学院大学学長賞賞牌制作(山口県下関市)
・㈱ニイタカ新社屋竣工記念モニュメント「自助自立」制作(大阪・西淀川区)
・東行庵中興三世玉仙大和尚像制作(山口県下関市)
・・・これまで「田村務」さんの彫刻を知らず知らずのうちに、多く見ていたのですねえ。
・・・阪急「豊中市駅」前広場には、もう一つ彫刻がありました。さて、豊中市には「梅花学園」がありますので、行ってみることにしました。
※一つの世界(平和青年像)作:吉田叡示/題字:西田王堂
●市場前交差点「道標」
(西)左箕面街道 桜井谷村少路野畑道
(南)右豊中中、梅花女 学校道
・・・なぜ「梅花学園」に行くのかは、「新テーマ」に関係があるからです。




