・・・「金蔵」に入れるなんて、なんだかワクワクします。
◆金蔵(きんぞう)
江戸時代、幕府の金貨、銀貨を保管した建物で、幕府直営の金庫の役割を果たした。「かねぐら」「かなぐら」とも読む。宝暦元年(1751年)、この場所から南に延びていた長屋状の建物を切断・改造して築造され、以来、北西側に以前からあった金蔵を「元御金蔵」、この金蔵を「新御金蔵」とよんで区別した。高さは約5.8メートル、面積は93.11 平方メートルで内部は大小2室からなり、手前に通常の出納用、奥に非常用の金銀を置いた。構造は防災と防犯に特に工夫がこらされ、床下は全て石敷き、入口は二重の土戸と鉄格子戸の三重構造、小窓は土戸と鉄格子、床下の通気口にも鉄格子がはめられている。なお元御金蔵は、明治25年(1892年)の配水池建設にともなって今の金蔵の東隣に移築され、さらに昭和4年(1929年)、陸軍によって高槻工兵隊の敷地内に解体移築され、のちに焼失した。
・・・結構みなさん解説を読んで、その莫大な財産に「タメイキ」をもらしておられました。
金蔵に保管されていた金銀の額は毎年の出し入れがあるため一定はしていないが元禄十六年(1703)の記録から現在の金額を算出してみるとおよそ500~800億円にもなるという。ちなみに金蔵保管の金が紛失した事件は少なくとも2件あったことが記録に残っている。そのうちの1件は元文五年(1749)、大坂城を守衛する旗本の中間(ちゅうげん)梶助が金4000両を盗み出した事件だった。すぐに御用金が盗まれていることは発覚し梶助は市中引きまわしの上、磔(はりつけ)となり、監督責任を問われて常番・丹羽薫氏(しげうじ)以下が処分を受けている。
http://tktaku.com/OSAKA_CASTLE_Photo/tour/hommal/kinzou.html
・・・「金蔵」を出て、先に腹ごしらえです。前回、レストランに入るのは緊張しましたが、2回目ともなると余裕です。
◆もと大阪市立博物館(期間限定レストラン)
10月1日(水)~12月31日(水)
昭和御大典記念事業として、市民からの寄付金により再建された大阪城天守閣とともに建設された建物。ロマネスク様式の重厚な建物のいたるところに凝った装飾が施されており、天守閣とは全く違った様式を用いて、その存在感を強く示しています。終戦後、大阪市警察庁本部、大阪府警察本部を経て、地域の歴史を扱う博物館の先駆的存在として運営されてきましたが、大阪歴史博物館の開館にともない2001年に閉館。その後は数回の一般公開などで使われるのみとなっていました。この度、博物館や美術館としての利用にとらわれず、大阪城来場者の憩いの場として、また国内に限らず、海外からの観光客の皆様が楽しめる特別な空間として3ヶ月限定でパーティや団体様でのお食事にご利用いただける会場としてOPENいたします。彩り華やかなフレンチのオードプルプレートをシェフ特製の華やかな冷製料理の数々を盛り込んだオードブルプレートをメインに、お好みに合わせてお魚料理かお肉料理をお選びいただけるメニューをご用意しました。新鮮な野菜の素材を活かし、旨味を最大限に引き出したスープやじっくり煮込んだお肉料理の数々もシェフ自慢の一品です。大阪城天守閣そばの特別な場所で、思い出に残るひとときをお過ごしください。
http://tktaku.com/OSAKA_CASTLE_Photo/tour/hommal/kyuuhaku.html
・・・期間限定なんですが、とても素敵な空間です。ぜひ、これからも機会あるごとにオープンして欲しいものです。それより、この「博物館」これからどうなるのか気がかりです。
・・・本丸を出て、最後の「櫓」へ。