◆【谷崎潤一郎記念館】◆
659-0052芦屋市伊勢町12-15/0797-23-5852
明治・大正・昭和の華やかな日本の文化を筆にとどめた文豪・谷崎潤一郎の記念館として昭和63年に開館しました。彼が愛した芦屋の地に、谷崎松子夫人をはじめとする遺族や収集家から寄贈された資料を中心に、谷崎潤一郎の生涯と作品を知ることのできる原稿、書簡、日用品などが展示されています。
●平成26年7月5日(土)~9月7日(日)
夏の通常展「谷崎潤一郎 人と作品」特設展示「文豪・谷崎と三人の妻」
文豪・谷崎潤一郎は、その生涯に三人の妻を持ちました。千代、丁未子、松子。最初の妻・千代とは相性が合わず、佐藤春夫との三角関係を引き起こして世相を賑わせるスキャンダルとなりました。二人目の丁未子は、流行作家谷崎に好奇心も旺盛に近づいていた女学生でしたが、その若さゆえにか結婚生活は二年ほどで破綻します。そして、最後の妻・松子は船場の大商家に嫁ぐ人妻―「御寮人」。運命的な出会いと熱烈な恋の末に、谷崎と結ばれます。三人の女性たちにとって、文豪との生活はどのようなものだったのでしょう。また、谷崎にとって彼女らとの生活は何を意味したのでしょうか。ひとつだけいえるのは、数々の傑作が三人の妻との関わりを背景にして生み出され、谷崎文学の世界を豊かにしていったということでしょう。「蓼喰う虫」「卍」「猫と庄造と二人のおんな」「春琴抄」・・・。脂の乗り切った谷崎の名作群は、彼女らを抜きにしては語れません。自筆書簡や写真などから、彼女たちの人となりや谷崎との関係、そしてそれらが作品世界と響きあっていく様相を浮き彫りにしていきます。
●平成26年7月5日(土)~8月3日(日)
ロビー展示「王朝継ぎ紙展~源氏物語その愛とかなしみ~」
平安王朝の女房たちの手で創り出された雅やかな和紙工芸「継ぎ紙」。色彩や文様、手ざわりのさまざまな和紙を重ねたり貼り合わせたりして装飾を施した貴重な料紙です。 長い間途絶えていたその技法を解明し、現代に甦らせた「王朝継ぎ紙研究会」(近藤富枝主宰)が、「源氏物語」の世界を表現しました。宮廷文化の華やぎと無常の世への寂寥が一枚の紙に宿る奇跡をご覧ください。
※芦屋市の最南端を東西に尼崎市まで走る臨港線という幹線道路があり、歩道に自転車通行帯が設けられています。自転車道の脇のコンクリート壁に昔(23年前)に描かれた壁画が続いています。また、植樹帯にはリンゴの木が植えられています。震災復興のシンボル“希望りんご”(特殊暖地りんご)です。平成9年にロータリークラブから寄贈を受け、図書館の東南方面・臨港線沿いに植樹されて以来、呉川町内会の皆さんが日常のお世話をされてきました。その53本の木々に初めての実がついたのは、平成11年の秋のこと。以来、収穫期には子供達やお年寄りにリンゴ狩りを楽しんでもらっています。
★希望リンゴ守る/昨夏盗難・防犯カメラ設置
阪神大震災からの復興を願って被災地など108カ所育てられている希望リンゴ第1号の樹木53本を守るため、兵庫・芦屋市が2013年5月下旬、カメラを設置。収穫間近の1000個以上が、ごっそり持ち去られたからだ。大切に世話してきた住民らはリンゴに託した希望を奪わないでと。震災復興願い芦屋で栽培。日本人を戦後励ましたリンゴの唄から、リンゴの木の植樹を思いついた。ボランティアグループを作り、募金で苗木を購入。最初に芦屋・呉川町の市有地に植えた。世話をしたのは、すぐ近くあった仮設住宅の住民ら。希望リンゴは、暖かい場所でも育つよう改良した品種。2000年から毎年8月下旬に開催する収穫祭では、地元の幼稚園児がリンゴ狩りを楽しんだり、地元住民がリンゴを味わいながら震災当時の思い出を・・・・ところが、2012年7月12日夕から15日朝にかけ、果実のほとんどが盗まれ、8月の収穫祭が中止。消えたリンゴは、軽トラック1台の荷台を埋める程。震災でつらい思いをした人たちの思いを踏みにじらないで欲しいと。希望リンゴは阪神間のほか、雲仙普賢岳噴火の被災地などにも植樹されている。
・・・情けないことです。しかし、これが現実です。なげいているだけでなく、持続・継続のための啓発・行動あるのみです。