・・・報告を忘れていたのが、作業場SAVにあるサンショウウオ池のトノサマガエルです。
・・・これは6月はじめ頃に発見したトノサマです。
・・・そして約1ケ月後、7月はじめのトノサマです。
・・・シュレーゲル・アオガエルの飼育報告つづきです。
・・・すでに、オタマよりカエルの方が多くなってきました。
・・・そして本日、
★2014年7月7日/大和高田市・奥田の蓮取り神事
7月7日、七夕の日、市内奥田で、1300年を超える歴史をもつ「蓮取り行事」がおこなわれます。室町時代から連綿とおこなわれてきた吉野山金峯山寺における「蓮華会」の一連の行事であるとともに、役行者の母・刀良売にまつわる「ひとつ目蛙」の伝承に深い関わりをもつ行事で、奈良県の無形民俗文化財に指定されています。この日、捨篠池では、蓮取り舟に乗って、古式にのっとりおごそかに蓮切りがおこなわれます。その後、善教寺に集まった修験者たちが、勇ましい法螺貝の音とともに、福田寺・行者堂から、役行者の母・刀良売の墓に蓮花を献じて供養し、続いて、捨篠池に隣接する弁天神社で、護摩法要が営まれます。こののち、修験者の一行は、吉野山金峯山寺・蔵王堂までの祠に、道中、蓮花を献じながら、蔵王堂での「蓮華会」「蛙とび行事」に参加したのち、これらの蓮花は修験者によって、大峰山頂上までの祠に供えられます。吉野山の蓮華会に欠くことのできない奥田の蓮は、今日まで地元の皆さんの努力によって大切に守られてきました。また、役行者没後1300年忌の平成12年には、蓮池公園に民話伝承碑が建立されるなど、捨篠池周辺の整備が進められています。
※「大和高田市史」より
昔、役小角(行者)の母(刀良売)が、奥田の蓮池で病気を養っているとき、夏のある朝、池の中にまつってある神社に詣でると、白い蓮花が咲いていて、その葉には金色に光った蛙がいました。刀良売は、一本の篠萱を引き抜いて、何気なく蛙に投げつけたところ、それが蛙の目にあたって、目を損じてしまいました。さして、池の中に逃げた蛙は、もとの土色の蛙となって浮いてきました。そして五色の霧も消えてなくなり、一茎二花の蓮も、もとの蓮になってしまいました。それから、この池の蛙は、一つ目であるといわれています。また、この池の蓮は、一本の茎に二個の花をつけた蓮であったので、めでたいとの前兆ではないかとして、朝廷に献じられたこともあったそうです。この異変ののち、この池は捨篠の池と命じられたといいます。刀良売は、それから病気が重くなり、42歳で亡くなりました。母を亡くした小角は、心に誓って修験道をひらき、吉野山に入って蔵王権現をあがめ、蛙をまつって追善供養をしました。 以来、毎年7月7日は、吉野の山伏が奥田の行者堂にやって来て、香華を献じ、蓮池の蓮(108本)を摘み、それを大峰山中の拝所に供える蓮華会がおこなわれます。また、この日、吉野の蔵王堂では、「蛙飛び」行事がおこなわれます。
・・・「蛙飛び行事」は多くのところで紹介されると思いますので、あえて「奥田のだんじり」を掲載しました。