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・・・「建仁寺」最後の目的は、



りゅう1


日本画家小泉淳作さん死去鎌倉建長寺京都建仁寺に天井画

日本画家小泉淳作氏が2012年1月9日午前肺炎のため横浜市内の病院で死去した87歳だった鎌倉市生まれ政治家小泉策太郎の七男俳優小泉博は弟にあたる山本丘人に師事新制作展などに出品40歳を過ぎて画壇を遠ざかり孤高の画家と評された50代後半になって水墨画に開眼し独自の世界を開いた小泉淳作画伯は5歳で母を11歳で政治家だった父を亡くし「無償の愛を知らずに育った」といわれているその孤独感が画伯の内面を充実させ芸術の深みを極めている慶応大文学部中退し東京美術学校(現東京芸大)に入学山本丘人に師事し1952年東京藝術大学日本画科を卒業その後デザイナーとして活動し陶芸家としても注目されたその間も日本画を画き続けたが日本画家として注目を浴びたのは1970年代半ばである陸軍予備士官学校の経験からか戦争には強烈な嫌悪感をもっていたようである。

鎌倉五山の臨済宗建長寺派の大本山建長寺法堂に「雲龍図」を完成さる。

「現実主義の僕に、龍を描けという。困りました。見たことがないもの。架空の存在でしょう。結局、中国の古い良い絵を見て学ぶほかはないなと思いました。独創性は自己宣伝になる。龍を描くには、自分を殺す必要があるということも知りました。僕の描いた龍だなんていう気持ちは毛頭ありません。『雲龍図』では問題なかったが、『双龍図』はその大きさのために、制作場所を探すのに大変苦労しました」

『双龍図』は、畳108枚分にもなる広さ。制作のためのプレハブを建てようかという話もあったが、予算の上で無理だった。頭を悩ませていた時に、偶然にも北海道でうってつけの場所が見つかった。

「帯広市郊外にある中札内村に、廃校になった学校があって、その体育館を使ってもよいということになりました。古いとはいえまだ十分に使えるし、二回に回廊があって、描いた絵を俯瞰することができたのです。

平成14年3月に、建仁寺の天井に張り上げられ時、鎌倉から京都へ攻め上った武士の気分でした。長年絵の道をひとりで歩いて来た僕にとって、78歳にして大した仕事をしたものだなあと思いました」

2006年から東大寺本坊のふすま絵に取り組み2010年に完成させた。


りゅう2


法堂天井画「双龍図」

小泉淳作画伯の筆による「双龍図」の拝観を行っております。画伯が約2年の歳月をかけ取り組まれたまさに畢生の大作といえます。是非当山まで足をお運び頂き、畳108畳にも及ぶこの壮大な水墨画をご覧下さい。


りゅう3


・・・最後に、もう一度「お庭」を満喫をして、いざ祇園(昼食)へ。


りゅう4


◆津田楼

570-121京都市東山区祇園町南側570の121075-708-2518

幕末より津田楼は四条川端でお茶屋を営んでおりました。その後、大正初期には花見小路に移転し現在に至っています。また、津田楼は祇園以外に山科で川魚料理屋も営んでおり、その店の名残を引き継ぎ、今もなまずとうなぎをモチーフとしたロゴを使用しております。2010年、改装を終え、新たな津田楼が祇園に生まれました。お食事やお飲み物をお楽しみ頂くだけでなく、京都文化、日本文化を五感で感じて頂ける場でありたいと願っています。1階のレストランバーには、大きな欅の1枚板のカウンターがあり、2010年の改築は、まずこの欅のカウンターを室内に運び入れてから、はじめました。2階には、お茶屋さんの風情を留めるお座敷があります。舞妓写生会や朗読と三味線の演奏会などの今までのイベントは文化サロンよりご確認いただけます。津田楼 古美術ショップは、営業時間内でしたらいつでもご来店いただけます。清水三年坂美術館長が厳選した古美術品、浮世絵、現代美術まで幅広く取りそろえております。ごゆるりとお買い物をお楽しみ下さい。ショップのみのご利用も可能です。祇園散策の際にはどうぞお気軽にお立ち寄りください。


・・・「清水三年坂美術館」には、近いうちに行きたいものです。


りゅう5


・・・「祇園」には「赤丸ポスト」がやっぱり似合いますよね。