・・・他府県、他市町村のミュージアムを紹介してきましたが、私の住む羽曳野市の現状についてありのままお伝えしたいと思います。
◆【陵南の森歴史資料室】◆
583-0881羽曳野市島泉8-8-1/072-952-2751
この資料室の魅力は、何といっても展示されている品々の質の高さだ。古墳の多さでは日本有数の羽曳野市から出土した一級品ばかりが展示されている。時代ごとに分けられているので、とても見やすい展示内容になっている。また、所狭しと並べられている土器の保存状態は、まるで古代人が自分達の生活ぶりを残すために作り置いてくれたのではないかと思うほど良い物が多い。展示室は、スペースこそ小さいものの、こまめに展示品の入れ替えを行い、訪れる人の目を飽きさせないように工夫している?
●平成23年度の成果報告展に替って5月初旬より誉田中学校(茶山遺跡)の調査で出土した形象埴輪を展示しています。形象埴輪には、全国でもほとんど出土例のない、冠帽形埴輪や椅子形埴輪などを展示しています。また新たに本庁1Fに設置していた市指定文化財の「鴟尾(しび)」が、陵南の森歴史資料室で見学できるようになりました。
●重要文化財「袈裟襷文銅鐸」(陵南の森総合センター内展示)
高さ89.6cm、重量13.5kg。1978年、羽曳野市西浦小学校改築現場で、偶然発見された。幅65cm・深さ35cm・長さ90cm以上の穴に、ひれを約45°傾け、裾部をやや上げて鈕部を下げた状態で、埋められていた。 色は赤銅色~金銅色で、一般に見る緑青におおわれた姿とは違っていた。鋳上がりは良好で、破損もほとんどなく文様が鮮明であることと、出土状況が明確であることなどから、1991年国の重要文化財に指定された。
※羽曳野市教育委員会 生涯学習室社会教育課 歴史文化推進室
583-0881羽曳野市誉田4-1-1/072-958-1111
市役所横にある「羽曳野市文化財展示室」は平日公開しますが、事前予約が必要なため普段は立ち入れません。
※市役所東玄関横にある「ギャラリーはびきの」では、多くの方々に芸術に親しんでいただくため、2ヵ月に一度展示替えを行い、現代工芸作家の作品などを展示しています。
平成25年8月24日(土)から平成25年9月30日(月)までは、文化財資料展示「古市古墳群の後期前方後円墳」を開催しました。古市古墳群は、羽曳野市と藤井寺市にまたがる東西4km、南北4kmの範囲の中に巨大古墳が密集する日本屈指の古墳群であります。これまで120基あまりの古墳が確認されていますが、現在は開発等により小さな古墳は取り壊され、44基の古墳が残存しています。その中でも、墳丘の大きさが100mを越える古墳は15基(200mを越える古墳は7基)存在します。このように、日本でも突出した規模を有する古墳が密集する古市古墳群は、同じく堺市の中心部に広がる日本一の規模を誇る仁徳天皇陵古墳をはじめとする巨大古墳が密集する百舌鳥古墳群とともに世界遺産を目指しています。古市古墳群の中で6世紀代に築造された古墳(後期古墳)は、群の西南部に集中して見られます。近年、この西南部で相次いで後期の前方後円墳が発見され、6世紀中頃まで前方後円墳が築造され続けていたことが判明しました。後期古墳は、鏡など副葬品が豊かな前期古墳や古墳の規模が巨大化する中期古墳に比べて、やや注目されにくい時代と言えます。確かに後期になると、墳丘規模が中期古墳と比較して格段に小さくなります。この時期では、墳丘規模が100mでもあれば巨大古墳と呼んでも差し支えないほどです。しかしながらこの時期は、大陸からの影響を大きく受け、石室形態の変化や豊かな装飾品が見られるなど、政治的にも社会的にも大きな変革を迎える時期と考えられています。古代史的には倭王武とされる雄略天皇に始まり、応神天皇の五世孫とされる継体天皇、巨大権力を誇った欽明天皇の時期と重なります。古市古墳群西南部には、雄略天皇(第21代)~欽明天皇(第29代)までのうち、清寧天皇(第22代)、仁賢天皇(第24代)、安閑天皇(第27代)に治定(ぢじょう)されている陵墓が存在しています。いずれも100mを越える大型古墳であり、この時期まで100mを越える古墳を密集して築造する地域は他にないことから、大きく注目されるところであります。
・・・現在は「硯」展をやっています。




