・・・あべの・天王寺界隈のつづきです。
◆四天王寺◆
543-0051大阪市天王寺区西天王寺1-11-18/06-6771-0066
四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。今から1400年以上も前のことです。『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。その伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つです。その源流は中国や朝鮮半島に見られ、6~7世紀の大陸の様式を今日に伝える貴重な建築様式とされています。
●落語「天王寺詣り」
笑福亭一門のお家芸の一つで、古くは4代目笑福亭松鶴が得意とした。SPレコードに4代目笑福亭松鶴、5代目笑福亭松鶴のものが残されている。「犬の引導鐘」という別の題もある。ストーリーは単純であるが、彼岸の四天王寺境内のにぎわいをスケッチした点に特色がある。玩具を売る者、竹駒屋、寿司屋(江戸鮨屋)、のぞきからくり、阿保陀羅経読みなどを演じ分けなければならない。また、石の鳥居、五重塔、亀の池の紹介など名所旧跡のガイド説明の要素もあり、演者にはかなりの力量が求められる。6代目笑福亭松鶴のお家芸で、5代目松鶴が臨終に際し息子の6代目に直接教えたネタと言われている。(実際は6代目はその場にいなかったとの説もある。)現在は松鶴一門の多くが演じている。
【あらすじ】
自身の不注意から愛犬を死なせてしまった喜六、知り合いの甚兵衛に「今日は彼岸やさかいに」と言われ、犬の供養のため二人で四天王寺に行く。境内は露店が店を並べ賑わっている。境内のあちこちを見学し、引導鐘(インドガネ=境内にある鐘で、気持ちをこめてつくと死者が成仏するという)をついてもらうと、何と犬の唸り声が聞こえてきた。喜六は「坊さん!引導鐘三遍までと聞いてんねん。三遍目、わたいに突かせておくんはなれ!」と頼み、心をこめてつくと「クワーン!」と犬の鳴き声。「ああ。無下性(ムゲッショウ=乱暴)にはどつけんもんや。」とまあ、この噺の中に次のようなカエルの話が出てまいります。・・・二人で外へ出ますると、くもり空。歩いているうちに、下寺町へ。“忙しい下寺町の坊主持ち、ちゅうのは、ここやなあ。”“あら、上坊主でんなあ。やっぱし、あれは二十坊主。”て、花札やがな。このギャグも、分からんようになりましたなあ。次は、大阪合邦ヶ辻。『摂州合邦辻』の歌舞伎芝居で有名ですね。西が新世界に通天閣、正面が動物園で、向こうが一心寺、向かいが安井の天神さん。『天神山』の舞台でもありますね。と言いながら、やってまいりましたのが、天王寺は石の鳥居。“うわぁ、まあ。”という主人公の大きな声、びっくりしまんな。大和・吉野の唐金(からかね)の鳥居、芸州・安芸の宮島の楠(くす)の鳥居と合わせて、日本三鳥居の一つ。“高いとこへ、ちりとり上げよった。”“あら額や。”“百日患うたら死ぬ。”“そら、核や。”“四字ずつ四つ、四四の十六書いておまんな。”“何と書いたあるか、分かったあるかちゅうね?”“そら、分かったないわちゅうね。”て、おもろいわ。“釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心じゃ。”“何にも分からんネコの糞じゃ”て、どっから、そんなこと思いつくねん。“弘法のささえ書きというなあ。”“どじょう汁に入れたら、うまいやっちゃ。”“そら、ごんぼのささがきや。”“真は、小野道風の自筆ともいうなあ。額という以上、箕(農器具の、あのザルみたいなやつですわ)の形にしてある。
柱の根元を見てみなはれ。カエルが三匹彫ったあったが、時代がついて、なれて丸うになったある。上が箕で、下がカエル、上から下へ、みかえるちゅうねん。”“私がここで、ひっくり返る。”と言いながら、でんぐり返り。その拍子に、ポンポン石で頭打った主人公。石の真ん中に穴が開いているので、ここへ他の石でもって叩くと、ポンポンと音がする。そこへ耳を寄せると、あの世で身寄りのもんが言うてることが聞こえるという。主人公もやってみますと、聞こえるわ、聞こえるわ。おばはんちゅう人が、口のうまい人で、あの世で閻魔はん取り込んで、資本金出させて、手広う商売したはる。“どうぞ景色(けいしょく)のエエところが空いております。おでんのアツアツ、休んでお帰り。”って、そら向こうの茶店やがな。(6代目笑福亭松鶴師匠『天王寺詣り』より)
●長持形石館の蓋
「絵堂」と「宝物館」の間に展示されている、長持形石館の蓋です。現在の茶臼山付近から出土して四天王寺の亀井堂の小溝に架けられ【蛙石】【巻物石】と呼ばれていました。江戸時代には、この橋を渡ると安産になると評判になり四天王寺の七不思議の一つとして言い伝えられて来ました。明治時代になって古墳時代の石棺の蓋であることが判明し保管されています。竜山石製で、五世紀代のものと見られます。縄掛突起を八つ持ち、幅1.43m、長さ2.86mという立派なものです。
★四天王寺の七不思議(1)寛文7年(1667年)出版の『京童跡追』より
1.五重塔の頂きにある「九輪」は閻浮檀金(えんぶだんごん)という幻の砂金で製造されており、永遠に輝く。
2.亀井の水は天竺から竜宮城を経て四天王寺に流れており、永遠に枯れない。
3.金堂の雨樋には天竺の銀が用いられており、決して磨耗しない。
4.四天王寺に生息するカエルは、池に棲む10丈(約30メートル)の大蛇を恐れて鳴かない。
5.金堂の柱は天竺の赤栴檀(せきせんだん)という最高級の香木で作られており、朽ちない。
6.中門の仁王像に遠慮して、すべての鳥は仁王像の上を飛び越えていかない。
7.境内の樹木は五重塔より高く育たない。高くなると、枝が下に垂れる。
江戸時代に作られた古典落語「天王寺詣」では次のような七不思議が語られてる。
★四天王寺の七不思議(2)
1.聖霊院には根が2本ある「二股の竹」があり、縁結びのご利益がある。
2.亀井の水は天竺から竜宮城を経て四天王寺に流れており、永遠に枯れない。
3.聖霊院の玄関である「猫の門」は江戸の名匠、左甚五郎の作品で、そこに彫られた猫は夜な夜な繁華街に遊びに繰り出している。
4.西重門近くにある龍の井戸の底には青竜が棲んでおり、その姿を見ることができる。
5.北鐘堂の引導鐘の音色は極楽浄土まで響く。
6.ポンポン石に耳を当てて叩くと、ご先祖様の声が聞こえる。
7.石の鳥居は極楽浄土と四天王寺をつなぐ門の役割を担っている。
★四天王寺の七不思議(3)四天王寺のパンフレットより
1.西門の石の鳥居は、極楽浄土の東門の中心である。
2.石の鳥居下のぽんぽん石に耳をあてるとあの世の先祖の声が聞こえる。
3.五重宝塔一層目の北西角には、正面に大黒天・左に毘沙門天・右に弁財天を彫った瓦があり、どの方角から見てもその顔が見える。
4.金堂西の井戸は竜の浮かび出る底なしの井戸である。
5.北引導鐘の音はあの世まで響く。
6.左甚五郎作・猫の門の「眠り猫」は元朝に三聲鳴く。
7.太子殿前の二股竹は根から二股になっており、いつまでも離れない縁結びの竹としておみくじがよく結びつけられる。