・・・建物に興味を持っていましたので、
◆【神戸ファッション美術館】◆
658-0032神戸市東灘区向洋町中2-9-1/078-858-0050
●日本の男服―メンズ・ファッションの源泉―
2013年10月11日(金)~2014年1月7日(火)
江戸から明治になって間もない1872年、時の政府は太政官布告を発して文官大礼服を制定し、以降日本の服制は洋装に改められました。それに先立った幕末の頃から、近代的な軍隊の整備に取りかかった各藩は、調練に際して洋服に近い筒袖や細袴といった上下二部式の衣服をそれぞれ導入していました。そのような格好が維新の波に乗って次第に増え始め、やがて国を挙げて洋装への移行をおこなったのでした。服制の制定以降、軍服や制服、学生服といった正装のかたちで洋装化は進み、国家の中枢部のみならず一般にも広がっていきました。その流れの中で背広は、都市における仕事着として、あるいは略式の正装として着用されるようになっていったのです。そのような正装としての洋装から一転し、戦後しばらくすると若者たちを中心に、それまでとは異なる着こなしでお洒落そのものを楽しむ傾向があらわれます。1960年代に、アイビー・スタイルを打ち出したVANや、ヨーロピアン・モードを取り入れたエドワーズが登場し、いよいよ日本における本格的なメンズ・ファッションの時代が到来したのです。特別展示『日本の男服―メンズ・ファッションの源泉』は、明治初期の文官大礼服にはじまり、明治・大正・昭和期の軍服や礼服、平服、さらに男服の流れを大きく変えたVANやエドワーズの衣服やノベルティなどの資料の展示を通じて、洋装化のはじめからメンズ・ファッションの形成へといたる、日本の男服の変遷をご紹介します。
『日本の男服』展の会場では、そのような一部から二部へと移る場所に、楯の会の制服を展示しています。楯の会とは、三島由紀夫を中心に1968年に「祖国防衛」を旨として結成された民兵組織です。三島由紀夫は、『潮騒』や『金閣寺』など多くの名作を遺した作家として有名ですが、1960年代の後半に日本という国の現状と将来を憂いた発言と行動が目立ちはじめ、やがて楯の会の結成へとつながっていきました。この楯の会の制服は、本展に展示されているような他の軍服のように服制にて定められたものではなく、あくまでも私設の軍隊の制服、イメージとしての軍服としてデザインされました。ですから、この制服には「ねばならない」の要素はなく、男らしい逆三角形のシルエットを効果的に演出する腰のシェイプや胸元のボタンの配置など、三島自身の美意識や意図が濃厚に反映しているように見えます。展示会場に置かれたこの衣装を見ていると、1960年代から70年代へと日本が大きく変わりゆくなかで、三島由紀夫という人が抗おうとし、同時に呑まれていったこの時代の流れというものについて、ふと考えてしまいます。この時期に「着ることの意味」も相当変わったと思われます。縦の会の制服越しに大礼服や軍服が並ぶ様を眺めてみると、眺めている自分自身が着ている衣服もまた、いつもと違った見え方がしてくるのです。
・・・さらに、伊坂芳太郎さんのEDWARD'Sグッズに出会うことができ、期待していなかった?だけに収穫も大きかったです。また、永澤陽一さんのジョッパーズパンツには驚かされました。
ヒッピー、みゆき族、状況劇場、フォークゲリラ、ビートルズ。若者文化が激しくぶつかり合い、花開いた1960年代、サンフランシスコなどのアメリカ西海岸を中心にフラワー・ムーブメント(愛と平和)なるものが起こった。それはベトナム戦争の反戦を訴えるヒッピー言われる若者によって始まり、そこからサイケデリックなサブ・カルチャーが生まれた。日本にもその運動は波及し、当時の若者に様々な影響を与えた。その同時代に若者から多大な支持を受け、宇野亜喜良、横尾忠則などと並び評された伝説のイラストレーターがいた。愛称ペロこと絵師・伊坂芳太良である。伊坂芳太良は阿佐ヶ谷美術専門学校在学中に藤田嗣治に出会い、パリに憧れ、直接手ほどきを受けたという。ヨーロッパ的な細い線画と浮世絵を連想させる構図や色使いから生まれる和洋折衷の不思議な世界は、サイケデリック・アートの世界的な大流行やアングラ・カルチャーの台頭という当時の時代背景とあいまって、60年代後半の日本の若者たちの間で絶大な支持を得る。メンズ・ファッション・ブランド「エドワーズ」の広告やポップを手掛けて注目を集めた。彼がイラストを描いたショピングバッグは大人気で、そのバッグ欲しさに洋服をもとめる人も多くいたという逸話を残した。また、タイプライターの「オリベッティ」、「PARCO」などの広告ポスターや、小学館「ビッグコミック」の表紙を創刊号から手がけるなど多方面で活躍した。余談であるが、愛称となる「ペロ」は、中学の英語の授業中に“エアロプレーン”をうまく発音できず、“エアーペロペロン”と発音したことがきっかけらしい。彼の作品は、当時大流行したサイケデリック・アートを自分の中に見事に消化し、日本の“粋”を巧みに織り交ぜ、ヨーロッパ的な細い線画を使いながら再構築していったものである。だからこそ異国情緒を感じさせながらも浮世絵のようである独特な画風では、観るものを魅了してやまないのではないだろうか。そして、今もなお色褪せることのない伊坂芳太良の作品群は、いつでも私たちに当時の感覚を追体験させてくれる。これは激動の60年代を独自の感性で切り取った彼にしかできない事であったのは確実である。
◆【神戸ゆかりの美術館】◆
658-0032神戸市東灘区向洋町中2-9-1(神戸ファッション美術館1F)/078-333-3330
・・・ここは次の展示のため休館でした。招待券をいただきましたので、また来る理由ができました。