●蕎原コレクションについて
ここに展示されている動物の剥製は市内北町にお住まいの蕎原文吉氏(東洋剥製博物館)から寄贈されたものです。蕎原氏は、戦後の荒廃の中で「無縁仏などの供養の寺」建立を思い立ち、全国の仕事仲間に呼びかけ、資金集めに奔走しました。しかし、思うようには進まず、時代の進展ともに、その想いを断念せざるを得なくなりました。その後、悶々として日々を過ごすなか、東南アジアの人々の窮状を知るにつけ、なんとか多くの人々の善意を集め、救援活動ができないものかと考えるようになりました。
そこで思いついたのが、剥製の収集でした。外国産の珍しい動物の剥製を集めれば、多くの人々が見学に来てくれるであろうから、その人々に訴え、救援資金を集めてはと考えるようになりました。剥製が増えるにつれ、沢山の人々が訪れてくれましたが、資金については予期したほどには進みませんでした。氏の収集品も400点になったことから、一区切りをつける意味で市への寄贈の申し出がありました。そこで、市としても、蕎原氏のご厚意にこたえて、剥製の活用方途について検討を始めました。しかし、ワシントン条約などで地球環境保護が国際的な課題となるなか、単なる展示では意味がないことから、自然保護の拠点施設を作り、その中での展示を考えることになりました。そうしてできあがったのがこの施設です。
●東洋剥製博物館について/岸和田市北町8-16
別冊宝島「全国お宝スポット魔境めぐり―歴史と常識を覆す禁断の聖地を一挙公開」に紹介されました。本によると、蕎原文吉さんが個人で運営されており、開館時間も適当で「来館希望者は事前に連絡下さい」となっていました。岸和田駅北口商店街から「南大阪信用金庫」の角を少し入ったところにあり、引き戸をあけると、象牙美術品とだんじり狸の剥製、鹿の首の剥製、「善意の募金を盗るな」と書かれた貼り紙等のオンパレードでした。壁に張られた剥製の譲渡契約書によりますと「500点近く剥製があったけれど平成7年2月にきしわだ自然資料館に寄贈したため今は少ししか残っていない」ということです。奥の細長い部屋は、雑然と剥製と象牙細工が置かれていました。狸に関しては、剥製会社のカタログにあるタイプをすべて作ってもらったとかで、水戸黄門、貫一お宮、えびす様、大黒様、大名行列、結婚式、二宮尊徳、西郷隆盛等、百匹くらいありました。ここの主な展示物は、須川さんという剥製の第一人者(数年前に亡くなられたそう)の制作によるもので、世界的にも通用する一級品・年月による劣化も少ないということです。
建物の入り口には「総本山縁昭寺開設事務所」と書かれていました。昭和45年開館の予定で、みさき公園の近くに15000平方メートルの土地を買い、善光寺のような宗派を問わない寺を作ろうとしたが、結局、必要な資金集まらず断念したそうです。しかし、人のために役立つことをしたいと思い、募金活動等で日本赤十字からも表彰を受けておられます。壁の古い新聞記事によりますと、彼が73歳(1984年)頃、動物園を作ろうと資金稼ぎのため贈答品販売したが、予算に無理があって「剥製動物園」に変更したらしい。昭和52年に兵庫県の剥製業者からライオンを買ったのが最初で、それから10年、1億円かけて、ほ乳類30種180匹、鳥類15種60羽、その他5種10体を購入して「東洋剥製博物館」を開いたのだそうです。剥製を譲渡するまでは大人気だったらしく、のべ20万人の人が訪れテレカや動物の縫いぐるみのお土産も売られていたらしい。なお、「お宝スポット」の本によると、だんじり狸やハッピパンダの剥製は、アカデミックな雰囲気にそぐわないということで引き取りを拒否されたらしい。蕎原文吉さんが亡くなり、2003年ごろに閉館されたようです。
◆五風荘
596-0073岸和田市岸城町18-1/072-438-1162
岸和田城二の郭にあった「新御茶屋」および「薬草園」の跡地に旧寺田財閥当主で岸和田市長を務めた寺田利吉の別邸として昭和4年(1929年)から10年をかけて造成された。面積は約8000平方メートルで、回遊式庭園内に「山亭」・「八窓席」・「残月席」の3つの茶室が設けられている。表門「南木門」は奈良の東大寺塔頭中性院表門を移したものである。五風荘は当初、岸和田所縁の武士楠木正成の姓に因んで「南木荘」と呼ばれていたが、寺田利吉の諡号が「五風院」であったことから現在の名称に改められた。所有者は昭和61年(1986年)に岸和田市土地開発公社、平成4年(1992年)9月に岸和田市へと移り、管理運営は平成20年(2008年)度まで岸和田市の外郭団体である岸和田市観光振興協会が担ってきた。平成21年(2009年)度からは指定管理者制度を導入し当指定管理者に選定された「がんこフードサービス株式会社」が当施設をレストランとして活用しながら管理運営を行っている。邸内の歴史的建造物は平成10年(1998年)に国の登録有形文化財に登録されていたが、指定管理者制度導入を機に、平成20年(2008年)、あらためて岸和田市指定有形文化財に指定された(これに伴い国の登録は抹消)。
・・・岸和田には「ふぐ博物館」といのもあるらしい、またの機会に。