ミュージアム | すくらんぶるアートヴィレッジ

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・・・さて、2回目のガラス工房(和泉市)通いです。


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・・・途中、遺跡の発掘調査を発見しました。


◆惣ケ池遺跡/和泉市鶴山台4丁目

太平洋戦争後、信太山丘陵は陸上自衛隊の演習場として使われてきたことから、土地開発の波を逃れ、多種多様の動植物の生息と里山的な環境が維持されてきました。しかし時代の変化に伴い、人の手が加わることなく、長年放置されて続けたために、信太山丘陵は藪化が進み、多くの動植物が絶滅の危機に直面しだすようになりました。こうしたことから、1998年(平成10年)、泉北水道企業団が所有する放棄水田を、環境省(当時は環境庁)、大阪府、和泉市、財団法人大阪みどりのトラスト協会、当時の所有者であった泉北水道企業団の協議によって惣ケ池湿地として、財団法人大阪みどりのトラスト協会が保全・管理していくことになりました。住宅地のすぐ近くにありながらコバナノワレモコウをはじめ、湿地特有の動植物をはぐくんでいます。

泉州・和泉地域における弥生時代の開始は早く、四ツ池遺跡や池上曽根遺跡などでは弥生時代前期から後期に至るまで継続して大規模な集落が営まれた。弥生前期の追跡では、四ツ池遺跡、池上曽根遺跡、鳳東町遺跡、池浦遺跡などがある。中期になると遺跡の数は増加し、和気遺跡、府中遺跡、大園遺跡、箕土路遺跡、下池田遺跡などが現れる。寺田遺跡に近接する和気遺跡では、弥生時代中期の集落跡が確認されている。池上曽根遺跡など弥生時代中期後半頃に製点集落として最盛期を迎えた後は一気に規模が縮小する。それに伴い、中期末から後期初頭にかけて、丘陵上に高地性集落が出現する。中期後半には寺田遺跡の東方に位置する丘陵上に観音寺山遺跡、後期には信太山丘陵上に惣ケ池遺跡の二大高地性集落が現れる。観音寺山遺跡では、100戸余の竪穴住居が濠によって囲まれた大集落が営まれた。しかしながら、観音寺山遺跡、惣ケ池遺跡などの高地性集落は弥生時代の終わり頃に突如姿を消す。


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・・・もちろん寄り道します。


◆【信太の森の鏡池史跡公園信太の森ふるさと館】◆

594-0004和泉市王子町914-10725-45-0605


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信太の森聖神社・信太山一帯に広がっていたと考えられています。農地の拡大、須恵器の生産などで植生は変化しました。明治以降、大部分が陸軍や自衛隊の演習場となり乱開発をまぬがれてきました。そのため、大阪のオアシスともいうべき貴重な自然環境を残してきました。

信太の森の鏡池史跡公園かつての信太の森の中心部に近く、聖神社の宗教儀礼の場であり、「葛の葉伝説」の舞台として伝承されてきました。このほとりで、白狐と保名が出会ったとされ、最後の童子丸(晴明)との別れの場でもあったと伝えられています。(和泉市指定史跡)

展示室信太の森は安倍晴明誕生の「葛の葉伝説」や和歌・文学のふるさと。文楽、歌舞伎、瞽女唄(ごぜうた)や文学、ゆかりの地などを写真や資料で紹介。また、植物、野鳥や昆虫や歴史なども紹介しています。

学習室信太の森語り部講座工芸教室野外観察信太山自然クラブ夏休み特別講座(昆虫採集のしかた)など


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◆聖神社

594-0004和泉市王子町9190725-41-1545


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白鳳3年(674年)天武天皇の勅願によって建立されたと伝わる、和泉三宮に列せられている古社で、信太大明神とも呼ばれています。本殿は豊臣秀頼が再建させたものです。本殿と末社本殿2棟が国の重要文化財に、末社1棟が府の文化財に指定されています。


・・・鳥居の位置からすると、かなり大きな神社だったと思われます。