・・・村野藤吾さんの、
●日本基督教団南大阪教会
545-0021大阪市阿倍野区阪南町1-30-5/06-6622-2011
塔屋(教会塔)は昭和3年(1928)、大阪基督教会創立50周年記念事業の一つとして建築されたました。設計・監督は、当時まだ渡辺節建築事務所に在籍していた村野藤吾で、これが彼の処女作になります。明治24年(1891)、佐賀県唐津市に生まれた村野藤吾は、大正7年(1918)に早稲田大学建築学科を卒業後、大阪の渡辺節建築事務所に入所し、活動の拠点を大阪に置きました。旧礼拝堂(会堂)と塔屋(教会塔)は無事に戦火をくぐり抜けましたが、時間の経過とともに傷みが激しくなり、旧礼拝堂(会堂)を取り壊すことになりました。その際、村野は「私の長男」と呼んで強い愛着を示したというエピソードがあります。そして昭和56年(1981)に新礼拝堂(会堂)が建築されましたが、こちらも当時90歳の村野の手によるもので、彼の宗教建築最後の作品となりました。つまり南大阪教会は、村野藤吾の処女作である塔屋(教会塔)と最晩年の作品である新礼拝堂(改修)とが一望できる貴重な建築物であるということができます。村野藤吾は、モダニズムの理念と方法から出発しながら、様式性や装飾美を湛えた独自のデザインを展開した建築家として知られ、「空間の魔術師」とも言われました。
・・・このような企画されたFWでなければ内部見学は難しいですね。
・・・お住まいの方々が親切にお話をしてくださったり、中まで見せてくださったり、本当に感謝です。
●寺西家阿倍野長屋
545-0021大阪市阿倍野区阪南町1-50-25/06-6624-7618
戦前の昭和8年に建てられた、木造2階建て瓦葺入母屋造の四軒長屋建築。宮大工によって築70年を超える長屋は見事に改修され、現在はレストランやギャラリーとして、町の中に息づいている。構造上は左右2軒ずつに分割され、間に防火壁を立ち上げている。各戸毎に妻入の玄関部を設け、背面側に坪庭を配する。2階を接客用空間とする点や、当初から各戸に風呂を設ける点が特色で、戦前の長屋建築の好例です。
・・・以前、ここで懇親会をしたことがあります。
●寺西家住宅主屋
東が平屋,西が2階建で,入母屋造屋根を巧みに架ける。1階は南東部が玄関、平面は中廊下式で、2階奥を床・棚付の座敷とする。1階玄関横の応接室は切妻造で、内外とも洋風意匠になる。街区北東の角地にあり、変化に富んだ外観は地域景観上、際立った存在です。
●大阪府登録文化財所有者の会(略称:大阪登文会)
平成17年9月4日、下記の趣旨のもとに設立されました。現在、正会員83名、特別会員9名の構成です。さらに多くの方々のご入会を期待しております。
平成8年10月に国の登録文化財制度が発足した。平成25年7月1日現在、全国の登録文化財建造物は9264件を数え、近く10000件を突破しようとしています。このうち大阪府には545件が存在し全国平均197件を大きく上回り、府民の登録文化財建造物に対する関心の高さが察せられますが、まだまだ十分ではありません。登録文化財は、国宝や重要文化財と呼ぶ指定文化財のように、行政が厳選した比較的古い時代の少数の物件について、許可制による強い規制と手厚い保護によって保存するのではなく、近代の歴史遺産を中心として、住民生活に身近で密着したものまでを含めて、住民、所有者が自主的に保存・活用する多くの物件を国の登録台帳に登録し、所有者から国への届出制による緩やかな保護措置で未来に継承していくものです。西欧では早くから、登録的な制度によって多くの古い町並み等を残し、世代を超えて愛着のもてる個性的で落ち着いた都市景観を形成しており、住民自らが住みよいまちをつくることこそが、観光集客にもつながることを物語っています。ところが残念なことに日本では、高度経済成長の過程で価値ある多くの美しい歴史遺産を失ってきました。長い風雪に耐えて受け継がれてきた歴史遺産を大切にすることは、資源を節約する心の育成や啓発につながり、まちづくりにおいては、伝統文化の継承・発展による歴史と文化が生きづく元気な大阪の再生、さらには、市民との交流や観光振興にも十分貢献できるものと考えます。われわれ登録文化財の所有者は平成16年秋から、文化財保護行政部局の意見を参考に、まず府内の登録文化財所有者が相集い、所有者相互の親睦を図るとともに、登録文化財を所有することの誇り、責務や悩みなど、様々な情報交換や情報発信等によって、府民の登録文化財への関心を高めることが、更なる登録の促進にも寄与すると考え、「大阪府登録文化財所有者の会」を設立しました。その後、京都、愛知、和歌山、秋田でも登録有形文化財所有者の会が設立されました。今後は、全国の所有者の会への発展を目指すとともに、日本の歴史・文化の一端を国内はもとより、世界に発信、交流できれば幸いと考えています。
・・・とても充実した「サミット」で町全体が「ミュージアム」なのだと実感しました。