大阪城 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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大阪城(15)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-がく1


お土産に「モロゾフのプリン」を買ってくるように言われていましたので・・・


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-がく2


■モロゾフ/あべのハルカス近鉄本店@大阪あべの名物アベノミックスプリン(リンゴ)

□本名:プリーナ

□愛称:プリンちゃん

□出身地:神戸生まれ

山と海に囲まれた異国情緒あふれる港町に暮らしています。

パパはパティシエで、神戸の老舗のスイーツ店を営んでいます。

□誕生日:5月25日

□すきなもの:プリン、フルーツ、パパの作るスイーツ

□チャームポイント:笑顔(プリンスマイル)

□なかよし:シマリスちゃんとカモメちゃん

□トレードマーク:おおきなスプーン


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-がく3


帰ってから、膨大な画像を整理しつつ、さらに詳しく大阪城について調べていましたら・・・


■大坂城の七不思議

①真田の抜け穴

真田幸村が大坂の陣の時に、神出鬼没の活躍を見せた時に使った穴とされている抜け穴です。今も大坂冬の陣で築かれた真田丸跡地にある三光神社境内に抜け穴跡として存在します。鉄格子がしてあるので、中には入れませんが、鉄格子にも真田の六文銭があしらわれています。しかし、この抜け穴、真田丸前面に布陣していた前田利常が城外から城内に侵入するために掘らせた穴とも考えられていて、真偽は不明です。

②金明水の井戸

現在の天守閣入口の前にある井戸です。この井戸は、豊臣秀吉が井戸の底に黄金を敷き詰めたといわれており、水は非常に冷たくて、この井戸に物を漬けておくと腐らないといいます。ただし、現在の天守閣は徳川時代の天守台の上に、豊臣時代の模擬天守が建てられたものです。豊臣時代の天守台及び城域にあった山は、すべて徳川家によってうえから土で覆い隠されてしまったということで、「金明水の井戸」も伝説にすぎない可能性はあります。別のところに、そういう井戸があった可能性はあります。

③謎の空堀

大坂城の本丸南側の堀は、あえて段差をつけた空堀になっています。この「空堀」は、豊臣時代にもあった仕様らしく、これを設置した意図も明確ではありません。

④「蛸石」「虎石」「竜石」


「蛸石」は、本丸の表門である桜門の枡形正面にあります。また、「虎石」「竜石」は、この桜門の左右の石です。それぞれ、「蛸石」が36畳敷、「虎石」が11畳、「竜石」は14畳と、かなりの巨石です。大阪城には巨石が他にも使用されていますが、「蛸石」はその中でも最大のものです。一部は運び方の記録も残っているそうです。この3つの巨石は、長雨で濡れるとそれぞれ蛸や虎や竜などが姿を現すようになっているそうです。

⑤六番櫓石垣途中の穴

大阪城には、城南側の外堀に面して、1番~7番までの櫓がありました。このうち、1番と6番の櫓は残っていますが、六番櫓の建っている下の石垣の西側のところ(やや下の方)に、石をはめ忘れたみたいな穴が開いています。大きさは1メートル四方ほどで、こうなった理由はよくわからないそうです。

⑥人面石

本丸北東の隅にあるそうです。魔よけ目的だったそうで、本丸の天守より北側は、秀頼や淀殿が自害したと伝わる場所があります。

⑦淀殿の幽霊

淀殿の幽霊がかつて大坂城の城内に出たそうです。伏見櫓の内側一帯には、江戸時代の初め、金奉行の役宅が置かれていたが、やがて空き地となり、いつしか『化け物屋敷』とよばれるようになった。大坂城を管理する重職である京橋口定番の屋敷(公邸)はこの南側に隣接しており、代々の定番は、ここに住み着く妖怪にとりつかれ、半狂乱に陥ったり、在任中に亡くなったりするので恐れられ、そのため屋敷内には稲荷社が祀られ、新任の際には新たに小祠を修造、奉納するのが常になっていた。享保年間(18世紀始め)に着任した戸田大隈守(とだおおすみのかみ)という大名が、邸内にあふれたこれらの社を全て取り払い、玉造稲荷に移したところ、妖怪が姿を現し、激闘の末、大隈守がこれを退治したと伝わっています。その正体は、七尺八寸(約2.4メ-トル)もの巨大な古狐だったそうです。


・・・いろいろ不思議があるのですが、やっぱり「空堀」の謎が気になって仕方ありません。今後も継続的に調べていきたいと思います。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-がく4


・・・こんな「学会」があることもわかりました。お堅い学会ではなくて、ブログなどでのつながりから結成された会のようです。


大阪高低差学会2013年03月28日

大阪の地形は素敵だ!大阪高低差学会結成

東京と大阪の地形を比べてみたらどちらもかなり変わってる。

東京はフラクタル状の深い谷が連続しており、大阪は平坦な地形に上町台地が半島のように存在している。

世界中探してもこんな変わった地形の都市はそうないのではないでしょうか。

それに比べて、奈良や京都はとっても普通。逆にそれが都を置く場所としては最適だったのかもしれない。

大阪は見れば見るほど不思議なカタチをしている。

あそこの地形はどうなっているのだろう。

もっと知りたい。もっと歩きまわりたい。もっと語り合いたい。

ということで、大阪の地形の変化を楽しむ人達が集まって

大阪高低差学会を結成しました。現在は、上町台地を中心に

Facebookページとブログで情報を発信しています。

Facebookページは管理人数名で運営しています


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このロゴマークも気に入りました。ということで、私も会員登録して、いろいろと楽しみながら今後も調べていきたいと思いますが、とりあえず、「大阪城」シリーズはこれで区切りとします。