高野山(7)
■金剛峯寺
このお寺の場所は真然大徳のご住坊があったところでした。天承元年(1131年)10月17日には覺鑁上人が鳥羽上皇の勅許を得て小伝法院を建立され、その後の文禄2年(1593年)には豊臣秀吉公が亡き母堂の菩提を弔うため、木食応其上人に命じて建立されました。当時は、秀吉公の母堂の剃髪が納められたため、剃髪寺と名付けられたそうですが、のちにその名を青厳寺と呼び、応其上人の住坊となりました。その後は法印御房の住坊となり栄華を誇りましたが、再三の火災によって焼失し、現在の本殿は文久3年(1863年)に再建されました。明治元年に行政官から青巌寺を金剛峯寺へ改号するよう指導されました。また、明治2年には古くからの高野山の管理制度を改めて総宰庁がおかれ、執政、副執政、参政、顧問、監司といった五役を設け、さらには隣接していた興山寺というお寺を庁舎として使用することになりました。その後、この二つのお寺は合併され、総本山金剛峯寺として現在に至っています。ちなみに、このお寺の住職は座主と呼ばれ、高野山真言宗管長が就任することになりました。「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』というお経より名付けられたと伝えられ、東西30間(約60メートル)、南北約70メートルの主殿(本坊ともいう。県指定文化財)をはじめ、座主居間、奥殿、別殿、新別殿、書院、新書院、経蔵、鐘楼、真然堂、護摩堂、阿字観道場、茶室等の建物を備え、寺内には狩野派の襖絵や石庭などが設けられ、境内総坪数48295坪の広大さと優美さを有しています。
●蛇足1「般若湯」
般若湯はずばりお酒のことで、お寺で使う隠語です。高野山は本来戒律の厳しい世界ですが、寒冷をしのぐために、祖師弘法大師も「塩酒(おんしゅ)一杯を許す」と申され、酒の効用を認めておられました。般若とは、インドの古い言葉サンスクリット語で『知恵』と言う意味だそうです。寒いときに熱燗で一杯やれば、体が温まり血のめぐりが良くなって、知恵が生まれる。お酒は知恵の源とでも考えたのかもしれません。
●蛇足2「高野豆腐」
冬期に豆腐を屋外に放置してしまったことから、偶然に製法が発見されたと言われている。俗に高野山で製造される凍り豆腐が、精進料理の1つとして全国に広まったものとされるが、実際には、東北地方にも凍み豆腐(しみどうふ)と呼ばれる同じ製法の保存食があり、こちらは戦国大名伊達政宗が、兵糧研究の末に開発したという伝説がある。中国にも同様の食品があるので中国から伝来した可能性も高い。寒さの厳しい地方では、場所に限らず偶然の産物として発見され、普遍的に生産されてきた食品と見られる。高野豆腐と呼ばれるに至ったのは、江戸時代において高野山の土産物として珍重されたからとも言われている。江戸時代においては最も流通した物がその販売地、販売者の地名を冠することがあり、これもその1つである。高野豆腐の名称は現在では全国に広まっているがもとは関西圏で広く用いられていた名称で、甲信越地方・東北地方・北海道では凍み豆腐・凍り豆腐と呼ばれていた。甲信越・東北・北海道で作られる伝統的な製法の凍り豆腐は、藁で数個ずつ豆腐を連ねて軒先に吊るして作るので、その形から連豆腐とも呼ばれている。大阪ではちはや豆腐という呼び名もある。古くは氷豆腐と表記されることもあった。東北地方では製造途中の凍ったものを凍り豆腐として冷凍販売し、乾物の状態のものを凍み豆腐として区別して販売されているため、注意が必要である。日本農林規格(JAS)では、凍り豆腐が正式な名称となっている。寒冷地で発達した食品であることから、現在では長野県が日本最大の生産地である。高野山近辺では現在は製造されていない。
●蛇足3「ごま豆腐」
高野山の代表的なお土産としてあげられるごま豆腐。全国のごま豆腐の中でも高野山のものは、ごまの表皮を丁寧に剥いて中身だけをすり潰して使うので、際立って白いのが特長。ごまを丁寧にすりつぶし、葛とあわせてじっくり練りながら煮あげていきます。皮と一緒に余計な油分も流れているので、ごまの油のしつこさがなくコクのある味わいが楽しめます。ごま豆腐は鮮度が大切で、作ってすぐが一番おいしく食べられます。早めに食べられるなら生ごま豆腐のお土産がおすすめ。遠方などのお土産用には、日持ちのするアルミ包装やパックされた物もあります。
■苅萱堂
苅萱道心と石道丸の話は、悲話として広く知られています。このお堂は苅萱道心が出家し、実の子である石道丸とともに父子を名乗ることなく仏道修行に明けくれたと伝えられています。
■一の橋
弘法大師空海が御入定されている奥の院への入り口となる橋です。奥の院へは一の橋から参拝するのが正式なルートとされています。一の橋は正式には「大渡橋」や「大橋」と言われ、お大師様がここまで送り迎えされると伝わっている場所でもあり、ここでお礼をしてから橋を渡ります。
・・・ようやく「奥の院」です。