高野山 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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高野山(6)


■宿坊

昔から高野山では、越後の国は何々院、山城の国は何々院と、それぞれの所縁坊が決まっていました。お寺と諸国大名との檀縁関係によるものと考えられます。西暦1832年(天保3年)の調べでは、812の寺院が存在していたようです。




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しかし、明治の廃藩置県によって高野山の所領や山林が国に没収され、また火災で焼失したりと、今日では寺院117ケ寺、その内宿坊寺院は52ケ寺となっています。宿坊には、精進料理、客室、お風呂や庭園等にそれぞれ特徴有り、般若湯(はんにゃとう)と呼ばれる、お酒やビールも自由に飲むことができます


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宿坊「福智院」/作庭:重森三玲

弘法大師の開創より、高野山は一般の宿泊施設はなく、参詣者が泊まるための宿坊と呼ばれる寺院が整っています。宿坊は、それぞれ古い由緒と個性を今に伝えています。福智院は、5,000坪の敷地に70の部屋をもつ高野山最大の宿坊として、800余年に渡る歴史を積み重ねています。


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なかでも庭園家、故 重森三玲氏による3つの庭は世界的に高い評価を受けています。境内の宝物館には、桜田門外の変で有名な井伊大老の遺品をはじめ、徳川家ゆかりの諸大名の遺品、古くは奈良時代の古美術品などが納められています。


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ぜひとも・・・泊まりたい「宿坊」です。


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重森三玲(しげもり・みれい)

昭和を代表する庭園家(作庭家、庭園史研究家)。日本美術学校で日本画を学び、いけばな、茶道を研究し、その後庭園を独学で学ぶ。庭園家としてしられる以前に、昭和8年に勅使河原蒼風らと生け花界の革新を唱え、「新興いけばな宣言」を発表(起草)した人物としても知られる。昭和24年、いけばな雑誌「いけばな藝術」を創刊、同時期に、前衛いけばなの創作研究グループ「白東社」を主宰し、研究会を続けた。重森邸を会場とした毎月1回の白東社の集まりには、中川幸夫などが参加していた。他にも1950年代から重森邸を度々おとづれた彫刻家のイサム・ノグチとの交友など、庭園をとおしての交流は多岐にわたる。三玲作庭の庭は、力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成される枯山水庭園。代表作は、京都の東福寺方丈庭園、光明院庭園、大徳寺山内瑞峯院庭園、松尾大社庭園など。また、日本庭園、茶道、いけばなの研究者として重要な業績を残しており、主な著作は、日本茶道史、日本庭園史図鑑、枯山水、日本庭園史大系、実測図・日本の名園などが知られる。



・・・京都にある「重森三玲庭園美術館」にも行きたくなってきた。
そう言えば、「イサムノグチ庭園美術館」と不思議に重なりますよね。