中之島 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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中之島(5)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-あんど1


■剣先公園

天神橋より突き出た東端部は、大川を堂島川と土佐堀川に分けて尖っていることから「剣先」と呼ばれ、先端には安藤忠雄の構想による噴水が設置されている。韓国、中国、アメリカ、メキシコ、欧州・・・古希を過ぎた今も手掛けている建築プロジェクトは50以上、その8割が海外。世界を飛び回る建築家、安藤忠雄さんの拠点は、生まれ育った大阪。1969年の事務所設立から変わらない。「御堂筋や中之島公会堂を見ると、こんなすごい街を我々の先人がつくったのかと、大阪に誇りを感じます」


帆(ふね)Sailing to the NEXT STAGE

中之島噴水に暫定的に取り付けられていた鋼製カバーに代わり設置されたシンボルモニュメント(噴水カバー)です。大阪市が作品を公募し、寄せられた11案の中から市民投票で上位5案を選定、有識者らによる事業予定者選定委員会が昨年12月、電通関西支社とビーの企業連合体の作品を採用しました。作品名:Sailing to the NEXT STAGEは、水都大阪の発展に寄与した船運の歴史や、地元天満がガラス発祥の地という歴史的背景を踏まえ、船をモチーフにデザインされています。帆の部 分は大阪市の市章「澪標(みおつくし)」にも見えます。また、素材にはリサイクルガラスが使われ環境にも配慮しています。



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中之島プロジェク

中之島を中心に水都大阪の復活を目ざしたプロジェクトを提案する安藤氏は、水の都の本家本元ベニスで、「パラッツォ・グラッシ」と「プンタ・デラ・ドガーナ」という二つの再生プロジェクトを担当し。彼はベニスの再生プロジェクトで得たものを、水都大阪復活のプロジェクトに生かそうとしている。安藤氏は事務所を開いた1969年に「大阪駅前プロジェクト」、1980年の「中之島プロジェクトI」、そして現在の「中之島プロジェクトX」と、40年もの長きに亘って大阪都市提案をし続けている。仕事の9割が東京で、海外でも25カ国で仕事をしているが、事務所は今も大阪にある。それは、学歴のない自分にチャンスをくれた街への恩返しであり、大阪の街を愛しているからだ、と安藤氏語る。


壁面緑化計画

建築家の安藤忠雄さんが土佐堀川沿いの民間ビルの所有者に対し「壁面緑化をしませんか」と呼びかけ、多くの方が前向きに応えてくださっています。川筋に沿って、民間ビルの壁面緑化が進むことは、水辺の景観の向上といった観点はもとより、地域全体の緑化推進、それから環境の面でも高い効果をもたらします。このたび、安藤忠雄さんの呼びかけに応えて、土佐堀川沿いの廣田証券ビル壁面緑化に着手しました


中之島線・なにわ橋駅出入口デザインは安藤忠雄さんが担当

中之島線(天満橋駅から中之島駅間)事業主体である中之島高速鉄道(株)(坂本富司雄社長)は、「水都・大阪」にふさわしいデザイン性を重視し、中之島エリアではデザインを統一したほか、なにわ橋駅では、安藤忠雄氏が設計するなど、駅出入口をひとつの作品とし、中之島の新たな名所となるよう期待を寄せている。統一デザインとする3駅出入口では、駅内部の素材として象徴的に使用している「木(無垢)」と「ガラス」をメインに、日本の伝統的な格子を現代的にデザイン。スリット状にランダムに木の壁を配置して木の素材感を出しながら、角度によって変化する景観が楽しめる。また、夜間は中之島地区の街の外灯(あかり)として、温かで優しい光を放ち、水辺に映る彩りが水都大阪の景観を演出。シンプルな形態のデザインは、街から望む景観になじみ、中之島の新しいランドスケープと認知されるものとしている。独自デザインとなる、なにわ橋駅出入口は、周辺に中央公会堂や中之島図書館 などの歴史的建築物が点在し、再整備計画も進む中之島公園に位置することから、一層の芸術性を求めるため安藤氏に設計を依頼した。同駅では、3つある出入口を円弧状に湾曲した壁が地中から伸び上がり、難波橋から中央公会堂に続く街路に向かって開いた形とした。この壁が地面から生えてきて屋根になる形は、地下から地上へ、地上から地下へとゆったりとした変化の中で、導かれるように移動できることを考慮したもの。また、西側出入口は公会 堂や東洋陶磁美術館、東側は街路を挟んでゲートのように配置して公会堂に向かう軸線を強調、内側背後にLD照明を内蔵したガラスブロック壁で、照明の強さに濃淡のグランデーションをつけることで、階段の昇降時には水中へ潜るような、また、浮上するような印象をつくりだす空間を演出する。これらのデザインで、3駅について中之島高速鉄道は、時代に左右されないシンプルな形態の出入口は「大人の街」中之島にふさわし景観を演出するものと考えるとし、なにわ橋駅に関しては、「駅出入口がひとつ の巨大な作品となり、中之島の新たな名所になる」と期待を寄せている。


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ラヂオ塔

日本のラジオ放送は1925年3月22日に始まった。翌年、日本放送協会(NHK)が発足。野球や相撲などのスポーツ中継、総選挙の投票結果、28年から始まったラジオ体操といった多彩な番組で、受信契約数は増え、新しいメディアとしての地位を確立する。そんなラジオの普及に一役買ったのが、ラジオが自由に聞ける建造物として戦前までに全国の公園に建てられた「ラヂオ塔」だ。あまり知られていないラヂオ塔の実態調査を、国立民族学博物館客員教授の吉井正彦さん(64)が進めている。「放送五十年史」(日本放送出版協会、77年)などによると、標準型のラヂオ塔は四角形の石造か木造で高さ約2・8メートル、幅約1・5メートル。上部の窓にはスピーカーがあり、外側のボタンを押すと10分間放送が流れて自動的に切れる。最初のラヂオ塔は30年8月、大阪市の天王寺公園に建てられた。31年に奈良市の猿沢池のほとりや神戸市の湊川公園、32年に京都市の円山公園と続いた。32年に受信契約数が100万を突破したのを記念し、日本放送協会が全国の公園に本格的に建て始めたという。朝のラジオ体操に愛好家が集まり、スポーツ中継には人だかりができたという。吉井さんの研究は、2年前に兵庫県明石市役所北側の公園で、「ラヂオ塔」という表示のある塔を見たのがきっかけだった。展示板がなく、市役所やNHK放送博物館に問い合わせても全国的な建設ぶりなど、具体的な内容はほとんど分からなかったという。吉井さんは「放送史で誰もやっていない分野。とことんやってみよう」と取り組み始めた。31年創刊の「ラヂオ年鑑」(後の「NHK年鑑」)には、戦時中に休刊するまでラヂオ塔の設置一覧表が掲載された。吉井さんはラヂオ年鑑を精査して全国約450のラヂオ塔一覧表を作成、一つ一つについて、公園の管理事務所や自治体、郷土資料館などに問い合わせ、現地に出かけるなどの調査作業を現在も続ける。「分かりませんねえ」という回答がほとんどの中、郷土誌に当時の写真や記事が掲載されているケースもあった。現存するのは横浜市の野毛山公園、大阪市の大阪城公園、京都市の円山公園や船岡山公園など約20。日本のラジオ放送史の貴重な遺構だ。現存のものや当時の写真などを比較すると、デザインが多彩なことも分かった。塔は地元自治体や篤志家が建てた場合もあるという。ラヂオ塔の新規建設は39年に137、40年に156、42年に111と急増。吉井さんは「日中戦争の戦意高揚策が絡んでいるのでは」と推測する。戦時中に金属類回収令で廃れる一方、受信契約数も700万を超えて役目を終えたとみられ、戦後の年鑑にもラヂオ塔の記述がなくなるという。今後は関係先への本格的なアンケート調査も検討している吉井さん。「ラヂオ塔はラジオの良さを知ってもらい、ラジオの受信契約の販売促進手法として建てられた。戦後のテレビのプロレス中継や、現在のデパートの試食販売と同じ。そうした販売促進の原点だった」と指摘する。そのうえで、「現存するラヂオ塔は歴史遺産として貴重なもの。保存するなら案内プレートをつけて、ラジオ放送を再開するなどして、活用してほしい」と訴えている。毎日新聞2009年7月22日大阪夕刊


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戦前のラジオ塔、複製で復活500万円かけ堺の公園に

戦前、ラジオ放送を宣伝するため全国の公園などに設置された「ラジオ塔」の複製が、大阪府堺市堺区の大浜公園に登場した。4年前、園内で本物の塔が見つかったことを受け、市が500万円をかけて3月に設置した。ラジオ放送は聴けないが、スピーカーから「ラジオ体操第一」などのメロディーが1日6回流れている。NHK放送博物館(東京)によると、ラジオ塔は1930年代に日本放送協会が全国の公園など約500カ所に設置した。神社の石灯籠(とうろう)のような形でラジオとスピーカーを備え、人々が集まってラジオ体操や娯楽番組の放送を楽しんだという。大浜公園のラジオ塔は鉄筋コンクリート製で高さ3.3メートル、幅2.5メートル、奥行き1.7メートル。園内のプール裏の草むらに立っており、公園を管理する堺市大浜公園事務所の職員は「ごみの焼却炉跡だと思っていた」という。2007年秋、市民から「ラジオ塔ではないか」と指摘を受けて調べたところ、園内にあった旧堺水族館(1961年に閉館)のパンフレットのイラストに描かれたラジオ塔の場所と一致することなどから「本物のラジオ塔」と認定した。市は「戦前の庶民の暮らしを伝える文化遺産として貴重なものだ」として、塔を人通りの多い中央広場に移設しようとしたが、古くて壊れてしまう可能性があり断念。代わりに鉄骨モルタル造の実物大の複製を造った。公園事務所の西河嗣郎(しろう)所長(54)は「昔と同じように塔の前で体操する人も出てきています。市民の健康にも役立てばうれしい」と目を細める。塔の前では8月25日午前6時から「夏期巡回ラジオ体操」(NHKなど主催)が開かれる。複製の完成を受けて市が主催者側に働きかけた。市にラジオ塔の存在を指摘した「戦争遺構研究会」の柴田正己代表(66)=堺市東区=は、大阪・中之島公園や京都・円山公園など近畿と中四国の23カ所でラジオ塔とみられる建物が現存しているのを確認したという。柴田さんは「多くの人に忘れられていた近代の遺産が再評価されたのはすばらしいことだ。塔で戦時中のラジオ放送を聴くなど平和学習にも役立ててほしい」と話している。(2011年5月11日)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-あんど5


・・・まさか、以前紹介した堺市「大浜公園」と大阪市「中之島公園」が「ラヂオ塔」でつながるとは、不思議なものですね。