43浄元寺山古墳
これのはずだけれど、何の標示もないと不安になります。
藤井寺市野中の南、羽曳野市との境界には、大前方後円墳墓山古墳がその威容を横たえています。墓山古墳のうっそうとした森の西側には、野中墓地をはさんで浄元寺山古墳と呼ぶ大方墳があります。墓山古墳前方部西側に築かれた一辺67m、高さ9.7mの方墳で、墓山古墳の外堤に接している事などから陪塚的存在であると考えられています。この古墳の南側には多量の鉄器埋納施設が検出された西墓山古墳(人体埋葬の痕跡なし)がありましたが、宅地造成で消滅しています。西墓山古墳の主体部はアイセルシュラホールで見ることができます。
どうせならすべり台の上から眺めてみようと児童公園に入ってみたら、そこに看板が立てられていました。やれやれ・・・
標示はありませんでしたが・・・
44稲荷塚古墳
藤井寺市野中の住宅街の中にあります。周囲を住宅で囲まれていて、これが古墳だと気づく人は少ないでしょう。現在は直径37m、高さ5mの小山が残るのみです。1998年、開発に伴う緊急発掘調査が西側と南側で行われました。その結果全長50m、後円部径39m、前方部長11m・幅17m の帆立貝式の前方後円墳と判明しました。幅約5mの周濠も確認され、埴輪片が出土しました。6世紀前半ころの築造と推定されています。周辺には矢倉古墳・今井塚古墳などありましたが、今は消滅しています。
45鉢塚古墳
幼稚園側から眺めるのは気がひけます。裏側の住宅地に回ってみますと・・・
鉢塚古墳は、岡ミサンザイ古墳の北側約100メートルのところにある墳丘の長さが60メートルの前方後円墳です。前方部は西を向いています。表面の土の流出などで、もとの形はやや不明瞭になっています。墳丘のまわりには濠がめぐっていましたが、現在は埋め立てられ、その上に藤井寺西幼稚園が建っています。埋葬施設や副葬品などは分かっていません。しかし、墳丘に石を葺いた形跡が認められないことなどから、同古墳は、5世紀末から6世紀初めに造られたものと思われます。割塚古墳は、岡ミサンザイ古墳の東側約50メートルのところにある一辺30メートルの方墳です。この古墳も内容はよく分かっていませんが、4世紀末から5世紀初めに造られたと考えられています。また、開発などのために消滅してしまいましたが、岡ミサンザイ古墳の周囲には、ほかに、落塚古墳という径20メートルの円墳と、岡古墳という一辺33メートルの方墳がありました。前者は5世紀末から6世紀初めに、後者は4世紀末から5世紀初めに造られたものと思われます。