古市古墳群 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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02雄略天皇陵古墳


津堂城山古墳から雄略天皇稜古墳に向かう途中・・・



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産土神社

室町時代に神宮寺として再建され、祭神を牛頭天王としていましたが、現在は産土神社として素戔鳴命と櫛稲田姫を祀っています。もともと小山村の人々は岡村の辛国神社を共有の形で祭っていましが、祭事の度に岡村の氏子達との争いが絶えなかったので、江戸時代初期に小山村独自の氏神として、現在高鷲北宮にある「大津神社」から分霊したものと言われています。産土とは産室のある場所の砂、土の事を意味しました。産室は昔は離れた所に作られ、そこで出産をしました。いつしか、産土誕生の土地を意味するようになりました。本殿は一間社流造で、主要部分は創建当時の状態をよく留めており、藤井寺市内で最古級の神社建築として貴重です。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-りゃく4


■小山常夜灯

文政13(1830)年に造られた高さ4mもある大きな常夜です。元は現在の大阪市天王寺区空堀町にあり、明治24(1891)年になって現地に移築されました。常夜灯脇のこの道は、小山から葛井寺へ通じ、葛井寺・道明寺を経て、高野山や吉野・伊勢へ詣でる巡礼者が行き来する道で、古市街道とも呼ばれています。摂津平野郷と南河内の古市を結ぶ準幹線道路で藤井寺小山で長尾街道、葛井寺前で巡礼街道、誉田神社前で東高野街道、終点古市で竹内街道につなります。古市付近では大坂道と呼ばれています。



■小山善光寺

現在、浄土宗に属し、南面山無量寿院善光寺と称します。本尊は信濃善光寺と同じ一光三尊仏阿弥陀如来です。寺伝によりますと、推古朝(7世紀初頭)に本田善光によってもたらされた仏像を本尊として、隆聖法師が城山古墳の南側(「善光寺屋敷」の字名が残る。)に寺院を建立したということですが、おそらく渡来系氏族の津氏によって、今から約1300年前の7世紀後半に建立されたことが出土軒瓦から推定できます。その後、戦国時代の兵火によって三好氏の小山城と共に、諸堂焼失して廃寺となりましたが、江戸時代初期の慶長年間(1596~1614年)、宗珍法師によって現在の地に再興されました。毎年4月24日午後4時から本尊の御開帳があります。本田善光が難波津から引き上げた一光三尊仏を信濃に持ち帰る途中、宿泊した丹比小山里で隆聖法師としりあう。仏像があまりにも立派であったため、ともに祈ったところ、仏像っは2体に分かれた。そこでその2体を信濃と丹比小山の善光寺の本尊とした。(伝より)


■長尾街道

堺市北部から、松原市一津屋、羽曳野市島泉、藤井寺市小山、沢田、 国府、柏原市国分を経て、二上山の北麓・田尻峠を越えて、奈良県葛城市の長尾神社付近に至る街道である。長尾街道の名は明治18年(1885)以降に使われたもので、江戸時代には大和街道、奈良道などと呼ばれていました。この街道の起源は、日本書紀の推古天皇21年(613年)の条に「難波より京(飛鳥)に至る大道を置く」と記されていた日本最古の官道である竹内街道の北に平行して整備され、古くは大津道と呼ばれた。大津の名は、羽曳野市北宮にある式内大津神社に由来するといわれるが、大和川と石川の合流地点が大津と呼ばれたこともあり、その大津に至る道という意味で大津道と名付けられたとも言われています。


・・・長尾街道を西へと進みますと、雄略天皇稜古墳です。


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雄略天皇陵古墳

羽曳野市島泉八丁目にあり、古市古墳群の西北部に位置する円墳。島泉丸山古墳、高鷲丸山古墳とも。陵名は丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)で、宮内庁によって第21代雄略天皇の陵墓に治定されている。遥拝所濠外の東側にある。


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墳丘の直径は約76メートルで、幅約20メートルの濠がある。また、宮内庁や羽曳野市教育委員会が行った周辺の発掘調査によって埴輪が数点出土したが、この古墳のものかは不明である。円墳が少ない古市古墳群の中で、円墳としては最大の規模を誇っている。


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・・・帰り道、藤井寺市役所前に移設管理されている長尾街道「道標」を確認し、津堂城山古墳・内濠の島状の施設から出土した水鳥埴輪はわが国最大で、重要文化財に指定され、展示されているシュラホールへ。

藤井寺市立生涯学習センター

世代を問わず学び、集い、遊び、交流しあえる、個性豊かな生涯学習活動を支援できる施設です。アイセル シュラ ホールの愛称でみなさんに親しまれており、アイセルとは、Activity(活動)、Information(情報)Consultation(相談)、Exchange(交流)、Learning(学習)の頭文字で、シュラは、藤井寺市から出土した古墳時代に巨石を運搬したと思われる修羅のことです。建物の外観デザインは、船形埴輪と修羅をモチーフに、歴史を継承し未来へと出帆する船をイメージしています。