高野街道(87) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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高野街道(87)



すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-えき1


この辺りは高野街道と伊勢街道(大和街道)が交差する交通の要所でした。

東家四つ辻道標「右かうや道 左京大坂道」




すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-えき2


松ヶ枝橋(橋本川)

ここに大和街道の一里塚(和歌山を起点にして11番目)があったらしい。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-えき3


■JR・南海「橋本」駅


ここに「まことちゃん」像があります。


楳図かずおさん

和歌山県伊都郡高野町に生まれ、奈良県五條市に育つ。血液型はO型。初期には山路 一雄やウメヅ カズヲの名義による作品もある。1955年に貸本漫画家としてデビュー、『週刊少年サンデー』などに作品を発表。代表作に『漂流教室』『まことちゃん』『わたしは真悟』など。作品は恐怖ものからSF、ギャグもの、時代劇まで、少年もの、少女もの、青年ものを問わず幅広いが、一般にはホラー漫画の第一人者として知られる。1995年以降、腱鞘炎などといった理由で漫画は休筆中で、現在はタレント活動を精力的に行っている。東京都武蔵野市吉祥寺南町に住居兼オフィスを構える。

本籍地は奈良県五條市だが、父方は一族全部が教員という家系であり、父・公雄も小学校教員をしていたため、幼少期は奈良県の山間部の僻村を転々とした。高野町で生まれたのは、出産の便宜のため。3歳から6歳までは奈良県宇陀郡曽爾村で過ごし、父から地元の伝説や民話を聞かされて育つ。6歳からは五條市に住し、東京に出る27歳(1963年)までそこで過ごす。五條市に隣接する和歌山県橋本市は、楳図青年の散歩コースでもあり、橋本市の広報誌に4コママンガ『オテンバ日記』を載せたり(1956年)、橋本駅前に『まことちゃん』の像が建てられたり(2002年)と、縁が深いのです。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-えき4


駅周辺を散策していると・・・


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-えき5


なかなか、おもしろい町です。