高野街道(69) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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高野街道(69)


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■月輪寺

がちりんじと読みます。ご本尊は「やくしさん」(木造薬師如来坐像)で座高は97センチ、檜の寄木造で、光背には40本の光明があらわされています。13世紀初め、鎌倉時代初期の作品とされて、大阪府の指定文化財になっています。本尊薬師如来を安置する本堂の正面に「瑠璃殿」と横書きした額があり、「河州錦部郡三日市村月輪寺縁起」という巻物が伝わっています。それによると平安時代の初め頃に、長野村に住んでいた諸越長者という人が、弘法大師から薬師如来を与えられて大切にしていましたが、長者が亡くなると妻が郷里の三日市に戻り、そこにお堂を建てたのが月輪寺の起こりと伝えています。

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河内長野ロータリークラブ創立50周年記念「三日市『油屋』・『天誅組』記念碑

1863年(文久3年)8月17日、今から150ほど前、明治維新の先駆的役割を果たした天誅組がこの油屋に集結し、観心寺で戦勝祈願をした後、金剛山越えをして天領五條奉行所に討ち入ったのです。尊皇倒幕の第一歩をきったのですが、翌日の「8月18日の政変」によって京都における主導権が長州から薩摩・会津連合軍へ。天誅組も一夜にして、皇軍から逆賊に(維新後、天誅組は名誉回復)。残念ながら、現在「油屋」は跡形もなくなってしまいました。


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八木家住宅

当家はを木綿問屋を営んだ後、酒屋を営み、「東家屋(とうげや)」というで呼ばれていました。主屋は木造平屋建て、規模は桁行16m、梁行7mです。本を伏せたような山形の切妻屋根で、丸瓦と平瓦をひとつにしたような桟瓦で葺かれていますが、庇の部分は丸瓦と平瓦を交互に葺く本瓦葺になっています。街道に面して正面の出入り口の大戸や格子が残り、町家の伝統的な外観を今に伝えています。内部は、大戸よりも北側が居室で、南側が土間となっていたようです。建築年代は、部材の古さ、鴨居や天井の特徴から18世紀後半と考えられます。土蔵は、木造2階建て、規模は桁行6m、梁行4mです。構造は切妻造本瓦葺で、屋根の一番高い部分と直交する面を街道に向けています。外面には漆喰が塗られ、下半部に焼杉の板を貼っており、銅板の扉が各階に1つずつついています。建築年代は不明ですが、構造などから主屋よりも新しいと考えられ、19世紀後半と推定されます。主屋、土蔵ともに、伝統的な町屋の姿を良好に留めていることから、平成20年10月23日に国の有形文化財に登録されました。


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しばらく行くと「片屋の辻」へ出ますが、この辺りは駅前再開発で街道破壊されていますが、明和七年(1770)建立された、弘法大師名「常夜燈」があります。




三日市町駅の前には、「道標石」があります。道標石には「左 鬼住 延命寺 (左側には)延命寺第十三世大僧正照遍大和尚 明治四十年九月二十二日寂」と刻まれています。道標石はここにあったのではなく、元々は少し行った「当て曲げの辻」あたりに「道標石」があったのですが、再開発事業という名のもとに撤去され、三日市町駅前に移設されました。


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諸瀬

新高野橋の付近は、石見川と三日市川(天見川)とが合流しており、川の手前から少し下流側に掛けて低地でした。高野街道は、当時は手前のほうで、石見川を渡っていました。街道の西側には店や旅籠が並んでいました。当て曲げの辻付近に、諸瀬山大師寺が有り、真言宗古儀高野山派のお寺で。ここには、通称『諸瀬大師のアサリ水』と言う井戸水が湧いていました。この水を沸かして風呂に入ると万病に効くとの言い伝えが有りました。地蔵尊や弘法大師像が祀られ、『日切り地蔵』の人気があったそうです。