東高野街道(31) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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東高野街道(31)


・・・まさか!


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-いし1


「枚岡神社」まで来たので、ついでにと立ち寄った石切で、最初に「赤丸ポスト」に出会うとは・・・まさしく、ご利益としか言いようがありません。ありがいありがたい。


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平日だから、それほど人は多くないなあなんて思っていたら、電車より車で来られている人が多いわけで、神社近くは平日にもかかわらずかなりの賑わいでした。


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石切劔箭神社東大阪市東石切町1丁目

神道石切教の神社。延喜式神名帳に記載されている河内郡の式内小社(旧社格)。「石切劔箭命神社二座」。「石切さん」「でんぼ(腫れ物)の神様」として親しまれ、本殿前と神社入り口にある百度石の間を行き来するお百度参りが全国的に有名。創建年代は、火災により社殿及び宝庫が悉く消失したため詳らかではないが、代々の社家「木積」家には、皇紀2年に生駒山中の宮山に可美真手命が饒速日尊を奉祀されたのを神社の起源とし、崇神天皇の御世に現本社に可美真手命が奉祀されたと伝わる。現在確認できる文献では、日本三代実録(巻十一)に「貞観7年9月22日に河内国正六位の石切劔箭神社従五位下を授く」との記述がみられ、延喜式神名帳にも「石切劔箭命神社二座」とみられる。宮山の地にあった祭祀の場は、いつの頃か現上之社の場所に遷され、さらに明治38年には現在の本社本殿に合祀された。その後も、上之社のあった土地は、奥の院として信仰を集め、いよいよ再興の気運が高まり、昭和7年に解体保存されていた本社の旧本殿を上之社に移し、昭和47年に往古の姿を取り戻した。昭和50年には東京都文京区に分祀され「石切東京分祀」が鎮座している。



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お土産は「紅梅焼」そしてカエル探しも・・・


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どうせなら・・・


石切劔箭神社上之宮東大阪市上石切町2丁目


まで、登ってきました。