東高野街道(30)
・・・まさか、こんなに山の上だとは思いませんでした。
■水呑地蔵院/八尾市大字神立
承和三年(836)、僧壱演がここに地蔵菩薩を安置して堂宇を設けたという。本堂の南側に小祠があり、石地蔵の前に二つのつぼがある。こんこんと清水がわいていて、俗に「弘法水」という。大師が山麓から急坂を登って、このすぐ上の十三峠を越える旅人のために祈願して得た霊水という。飲料水として、また脚気などの諸病にも効験があるといわれ参拝者がたえない。この地は桜の名所として名高い。八尾市教育委員会
・・・「神立(こうだち)」という名前にふさわしい場所です。
八尾市神立は八尾市街中心部から東へ約5kmの所で、生駒山系高安山西山麓に位置し、かっての河内と大和を繋ぐ十三峠越えの、河内側の登り口にあたる。「伊勢物語」に高安の女のもとに通う大和の男の話がある。在原業平の河内通いとして有名であるが、この十三峠越えで通ったと思われる。江戸時代はじめは、幕府領、慶安元年(1648)大坂城代役知、承応元年(1652)再び幕府領、寛文9年(1669)山城淀藩領、享保7年(1722)大坂城代役知、享保8年(1723)は山城淀藩領で幕末を向かえる。江戸時代のこの地は木綿織が盛んで「山の根木綿」の名で知られていた。「西鶴置土産」に高安の山の根の里人で綿で一財産を築いた人の話が載っている。明治期に入り、近代紡績の発達で、伝統的な在来の河内の綿作や綿織物は衰退した。代わって高安山麓部では果樹や花卉の園芸農業・植木園芸が盛んとなり、特にキクの栽培は有名である。
・・・とうとう東大阪市に入ってしまいました。
■枚岡神社/東大阪市出雲井町7番16号
式内社(名神大社)、河内国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。春日大社の勧請元のため、元春日の別称がある。神紋は春日大社と同じ「下がり藤」。
東高野街道に面して、枚岡神社の鳥居は建てられています。古代において、河内の平野部は池や低湿地のため、この山麓沿いの道は、河内で唯一の南北道として重要な役割を果たしていました。南北朝の戦いのとき、生駒山麓一帯は戦場となり、楠木正行や高師直らが、この道を走り回ったに違いありません。
枚岡梅林はかおり風景100選の一つとされる。鳥居から坂を上り、46段ほどの階段を登ると拝殿に着く。1853年(嘉永6年)に駅前に建てられた社名標には「元春日平岡大社」とあり「平岡」の表記や大社号が使われていたとわかる。一の鳥居は神社からは線路の向こう側となる枚岡駅の西側にある。駅から少し登ったところに二の鳥居がある。二の鳥居脇の社名標は1907年(明治40年)に日露戦争戦勝を記念したもので、三条実美の書物から字を拾ったということです。
・・・もう少し行けば「石切さん」です。しかし、今日はもう遅いので一旦帰ることにします。
■八尾市立歴史民俗資料館
常設展「大和川流域と高安山-その歴史と文化-」は、「掘り起こされた八尾の歴史」「写真と資料でみる八尾の風景」「大和川付替えと河内木綿」の3つのテーマで構成されています。発掘調査からわかること、八尾の景観を造ってきた様々な出来事、大和川と河内木綿の歴史などを紹介することで、八尾のそれぞれの魅力が発見されることに努めました。
・・・遅かったので、入館できませんでしたが、前を通りましたので紹介しておきます。明日は「石切」に行くぞ。