東高野街道(29) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

東高野街道(29)




伊勢物語において、在原業平は高安郡にある玉祖神社参拝の折、神立村の福屋という茶店の娘・梅野に恋をして、八百夜も通いつめたらしい。『井筒』では枚岡明神詣での途中で高安の女と出会うことになっています。


・・・ということで、さらに北へと向かっていきます。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ちゃ1


■高安松の馬場

高安中学校の横に「高安松の馬場」と呼ばれる通りがあり、東高野街道脇に鳥居が立ち、神立地区にある玉祖神社への参道となっている。かつては松の並木が続いていたが現存しない。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ちゃ2


都夫久美神社

掲げられた案内には、「古代の大豪族物部氏の祖神・ウマシマジを祭神とする。ツブクミという社名は、物部氏の一族積組連に由来する八尾市教育委員会」とあります積組連(ツブクミムラジ)とは、新撰姓氏禄(815)に、「河内国神別(天神) 積組造 饒速日神子干摩志摩治命之後也」とあるように、八尾の辺りを本拠地とした物部氏に連なる氏族といわれ、その積組連が祖神・ウマシマジを祀った社と推測されます。ただ、祭神不詳とする史料もあり(神社覈録-1870)、また、明治5年(1872)以降、軻遇突智命(カグツチ)と大歳神を合祀して3座を祀るともいう(大阪府誌・1903)が、今はウマシマジ一座のみとなっています。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ちゃ3


・・・なんと、鶏がお出迎えです。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ちゃ4


玉祖神社(たまおやじんじゃ)

710年(和銅3年)、周防国の玉祖神社から分霊を勧請したもので、その際、住吉津から上陸し、恩智神社に泊まった後、現在地に祀られたとされている。天明玉命(櫛明玉命)を祭神とする。現在の社殿は、1725年(享保10年)の再建とされている。かつては神宮寺として「薗光寺竹之坊」が参道の石段下の脇にあったが、明治維新後の神仏分離により廃寺となった。2010年(平成22年)には鎮座1300年にあたり、そのための盛大な祭が行われた。社宝にかつての御神体とされていた木造の男女神坐像があり、1965年(昭和40年)に大阪府重要美術品に指定されている。



すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ちゃ5


また、平安時代の歌人・在原業平が使用していたとされる笛が伝わっているらしい。参道石段脇に大きなクスノキが生えており、1949年(昭和24年)に大阪府の天然記念物に指定されている。毎年7月中頃(15日、16日に近い土日)には各地区から布団太鼓が出て祭礼が行われている。本神社の少し北側を大阪市の玉造を起点とする十三街道が通り、かつては交通の要所となっていた。神社すぐ横で、「神立茶屋辻」付近から大字服部川の神光寺付近まで南北に通る農道(八尾農免道)の新設・拡張工事が行われていたが2010年に竣工している。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ちゃ6


「水呑地蔵院」への途中に・・・


神立茶屋辻(こうだちちゃやつじ)

玉祖神社から北へ歩いてくと十三街道に出ます。この街道は奈良県側と大阪府側を結ぶ重要な街道であったらしく弘法大師も足跡を残しているようです。この街道はむかし大阪玉造と大和竜田を結ぶ重要な道筋にあたりこの辻には多くの茶屋が並んでいたのでその名がありますそして、在原業平と茶屋娘の恋物語で有名です。業平が峠を越え玉祖神社への参詣の途中、福屋の娘、梅野をみそめましたが、ある夜東窓があいていたので中をのぞくと、娘が手づからでめしを食っているのを見て、急に興ざめして逃げ帰りました。娘は後を追いましたが、見あたらず悲しんで淵に身を投げてしまいました。この高安の里では、今でも東窓を忌み、これをあけると娘の縁が遠くなるという伝説があります