東高野街道(26) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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東高野街道(26)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-ひこ1


恩智神社八尾市恩智中町5丁目

「河内二之宮」でその創建は大和時代の雄略年間(470年頃)と伝えられ、河内の国を守護するために祀られた神社で国内でも有数の古社であり、後に延喜式内名神大社に列している。祭神は「大御食津彦大神(おおみけつひこのおおかみ)」と「大御食津姫大神(おおみけつひめのおおかみ)」であるが、奈良時代天平宝字の頃(757~65年)藤原氏により再建され、藤原氏の祖神である「天兒屋根命(あめのこやねのみこと)」を常陸国(現現香取神宮)より分霊し祀っていたが、宝亀年中(770~80年)に、これを枚岡を経て奈良春日大社に移し、その後、大御食津2座を祀るという。この故事から当社は「元春日」と呼ばれる所以でもある。この縁もあってか、明治維新前迄は、奈良・春日大社の猿楽は当社が受けもち、この猿楽座に対して、春日大社より米7石5斗と金若干が奉納されていたのことである。


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710年(和銅3年)に周防国の玉祖神社から高安の玉祖神社へ天明玉命の分霊を勧請した際、分霊を一旦恩智神社に祀ったとされている。859年(貞観元年)正月に従二位、更に正一位に叙せられ、恩智大明神の称号を賜った。延喜式神名帳では河内国で四社のみの名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗の幣帛に預ると記載されている。室町時代初期・建武年間に恩智の豪族、恩智左近満一が居城(恩智城)を神社の東に建てたため、神社を下に見下すことになって不敬であるとして、神社は城よりさらに高い所にある現在地に遷座された。現在の本殿は明治年間に立て替えられたものである。建築様式は王子造(流造の一種)。拝殿は、2000年(平成12年)に建て替えられた。


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八尾まで来て「八尾飛行場」をはずすことはできない・・・


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途中・・・


陸上自衛隊中部方面航空隊八尾市空港1丁目81番地

八尾駐屯地は、河内音頭で有名な大阪平野の中東部に所在しております。主に所在している部隊は、陸上自衛隊の航空科職種である「中部方面航空隊」と「第3飛行隊」です。各種ヘリコプターをもって人員及び物資の空輸や航空偵察を実施して広く地上部隊を支援します。また、風水害・林野火災等の災害派遣待機等、昼夜問わず活動しております。



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大阪府中部広域防災拠点八尾市空港1丁目209-7

大阪府中部広域防災拠点には、被災した府民のために、非常用食糧や毛布等を保管し、また救援物資等の集配所としての機能を持つ備蓄倉庫・物資集配センターを整備するとともに、応援ヘリコプターの受け入れを行うヘリ駐機場や応援部隊の駐屯・活動の拠点となる活動広場を整備しています。


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ようやく「八尾飛行場」に到着しました。