東高野街道(10)
「高井田横穴公園」で驚いたのは、数の多さだけでなく、その展示方法に工夫がされているということもあります。
屋根がかけられていて、中がのぞけるようになっていたり・・・
さて、もう一度「大和川」そして「東高野街道」にもどりましょう。
■大和川付替記念碑公園
大和川は、もとは通称「築留(つきどめ)」から北上して淀川へとそそいでいました。ところが、河内平野は低湿地であるため、たびたび洪水を起こしていました。そこで、宝永元年(1704)に付替え工事が行われ、本市から西、堺の方へ流れる新大和川(現在の流路)が開通しました。現在、築留には、この付替えの功労者・中甚兵衛の銅像や付替え関係の碑などが建ち、公園として整備されています。
■アーチ型樋門「築留二番樋」柏原市上市2丁目320番地
製造年代:明治末期~大正、煉瓦造り、幅約2m、延長約55m、アーチ部最大幅約1.6m
明治末期から大正期にかけて製造された歴史の重みを感じる煉瓦造りの単アーチ型樋門である。煉瓦の積み方は、主にイギリス積みによるが、面壁の下半部は長手積みを採用しており、アーチ断面は馬蹄形となっている。各壁の天端には花崗岩が施され、床面にも花崗岩が敷き詰められている。
築留二番樋は、大和川の水を農業用水路の長瀬川・玉串川に取水するために設けられたものである。かつて長瀬川・玉串川周辺は田んぼや畑が多く広がり、その水は農業用水として周囲を潤していた。現在では、都市化が進み、長瀬川・玉串川周辺の田んぼや畑は少なくなってしまったが、今でも農業用水として、そして地域の貴重な水辺として、多くの人々に親しまれている。老朽化が進む樋内部は、薬剤注入や補強によって維持保全されている。また長瀬川・玉串川では、地域住民、土地改良区、行政により地域活動が盛んに行われており、長瀬川、築留二番樋に対する理解も深い。
・・・これまで柏原市は、単なる通過点にしかすぎなかったのですが、とても興味深いところだと気づきました。ちょっと、はまりそうですね。