東高野街道(9) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

東高野街道(9)



大和川を歩いて渡るなんて、ひょっとしたら初めてかも・・・



すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-と1


こんなに気持ちがいいのは久しぶりです。しかも、真横を電車が通り過ぎるのてすから、最高です。


新大和橋

かつて奈良時代に、「河内大橋」とよばれた朱塗りの橋が大和川・石川合流地点付近にあり、『万葉集』にも謳われています。この橋はどの位置にあったかは定かでなく、複数の説があります。しかし、増水のたびに破損・流出し、以来、この付近には架橋されなくなったと考えられています。近くには河内国府があり、竜田道(渋川道)と 長尾街道(大津道)の合流点にもなっていました。さらに東高野街道が整備され、交通の要所となりますが、川越えの橋はなく、柏原村と船橋村の間を渡し船で越えていました。かつては東高野街道の一部分として交通上重要な橋でありましたが、近辺に鉄道橋、自動車用道路橋が設置されると重要度は低下し、現在は歩行者・自転車専用橋となっています


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-と2


「河内大橋」について、柏原市立歴史資料館で企画展をやっているらしいので行ってみました。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-と3


古代のロマンですねえ。難しいことはわかりませんが、それよりも資料館がある場所は・・・


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-と4


高井田横穴墓群

総数200基以上の横穴墓があり、その多くに、古墳時代の線刻画を伴うこと有名で。国指定の史跡として、史跡公園「史跡高井田横穴公園」として整備されています


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-と5


生駒山地最南端に位置する柏原市高井田付近の丘陵の崖(軟弱な凝灰岩層)を掘削して、横穴式石室に似た構造に造られた墓室が200基以上も構築されており横穴墓群の規模としても最大級のものです。大正6年(1917年)に発見されており、その当時から線刻画の存在が報告されています。その線刻画の内容は人物、船、鳥、馬、魚、樹木、花、渦巻文、太陽、家屋などであり、人物の服装、船体のゴンドラ風の形から、古墳時代に彫り描かれたものであるのは明らかで。6世紀前半から構築が始まり、7世紀まで構築が続いたようで。当時の風俗、宗教思想を知る上で貴重な資料となっています


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-と6


この横穴墓群は丘陵の自然地形に従って一見雑然と掘削されているようにも見えます。しかし平面図を詳細に観察すると2-4基を単位として小群を構成していることが窺えます。未確認のものも含めて凡そ10-15の小群で一大群を構成しているようで。この現象を7世紀における氏族構成の姿にあてはめて見ると、大群はちょうど氏族集団の現われであり、小群は集団を構成している世帯であろうと推測されます。さらに小群の単位である2-4基は世代ごとに掘られたようで。これらの群構成は近隣にある平尾山古墳群などの群集墳で見られるもので


・・・とにかく、その規模の大きさというか横穴墓がいっぱいあって、圧巻です。全部見るには、かなりの体力が必要です。