吉野(3)
《仁王門は明治時代の解体修理以後2度の修理を施して来ましたが、この度「平成の大修理」を発願いたしました。仁王門の大修理勧進のために、本堂蔵王堂(国宝)の日本最大秘仏ご本尊金剛蔵王大権現3体(重要文化財)を、向こう約10年間の毎年一定期間に特別ご開帳いたします。普段は蔵王堂内陣の奥深くに安置されている秘仏ご本尊と、御縁をもっていただけますよう、ご案内申し上げます。*特別開帳中の特別拝観料の一部は仁王門大修理費に充当させていただきます》。
聖地・吉野の山に満ちるのは、蔵王権現の霊気。それは、金峯山寺の巨大なお堂から吐き出されるエネルギー。優しい仏だけでは救われない、そんな日本人の思いが、足を振り上げ、魔を威嚇する蔵王権現を生み出した。青色に燃える体は吉野の大自然に溶けて、私たちはそのふところに包み込まれる。
この三体の仏たちはいつも強い風を受けている。衣は吹き上げられ、赤い髪を逆立たせ、紅蓮の炎を背負う。どこへでも飛んでいくように、どこからでも飛んでくるように、高く振り上げた足の親指を力強く反らせ、なにか見えないものに立ち向かっている。牙を鼻袋までのばし、金色の眼を光らせ、真っ赤な口内から気炎を吐き、体を青く燃やす、三体の異形。怖くはない。ただ、ひたすら厳しい。どうしていにしえの人は、吉野の山にこのような姿の仏を必要としたのだろう。金峯山寺蔵王堂の本尊、蔵王権現立像は秘仏であり、ふだんは巨大な厨子の内に鎮まっている。中尊は7・28メートル、向かって右側が6・15メートル、左側が5・92メートル。大きい。厨子が閉じられていても、蔵王堂から遠く見わたされる大峯山地の奥までその霊気が響き渡るかのようだ。多くの「仏」たちはインド中国を経てきた経典に書かれ、その姿も経典に基づいて形作られる。しかしこの蔵王権現は日本独自の仏であり、もちろんその異形も日本であみ出されたもの。7世紀後半に奈良の葛城山に住む山岳修行者の役小角(えんのおづぬ・役行者とも)が大峯山の山上ヶ岳で感得したという。小角はその地で千日の修行をした際に、衆生を救う仏の出現を祈った。最初に現れたのは釈迦如来。しかし小角は、その姿では乱れた今の世の猛々しい人々に響かない、と訴える。次に現れたのは千手観音。観音はさまざまな姿に身を変えて救ってくださるが、小角はやはり乱世にふさわしくない、と言う。次に現れた弥勒菩薩にさえ、首をたてに振らなかった。どうか、世に満ちた悪を打ち払うような強い仏を──そう望んだとき、地が揺れ、雷鳴が轟き、岩を割って現れたのが蔵王権現だった。そう、あの恐ろしい忿怒(ふんぬ)の形相で。厨子の下からこの巨大な像を見上げると、片足を高くあげて厨子を乗り越えようとしているように見える。「だれだ、おまえを苦しめるのは。もしや自分自身の心ではあるまいな」優しいだけの仏ではなく、魔をたたき割る怖い仏。それは人間が求めたものだった。
蔵王堂の本尊が三体あるのは、蔵王権現が最初に表した姿、釈迦如来、観音菩薩、弥勒菩薩のそれぞれを意味している。そもそも「権現」というのは、「権(仮り)に現れる」という意味で、蔵王権現は、今の世にふさわしい姿として現れた仮の姿であり、本来は私たちのよく知る、柔和で優しい仏さまということになる。釈迦如来、観音菩薩、弥勒菩薩はそれぞれ、過去、現在、未来。よく知られるように、釈迦は紀元前6世紀から5世紀ごろにインドに生まれ仏教を開いた人。そのために過去を表す。観音菩薩は「音を観る」すなわち衆生の声を聞く仏として現世の利益を叶えてくれることから、現在を表す。弥勒菩薩は釈迦の滅後56億7千年後にこの世に現れて衆生を救うことから、未来仏とされる。蔵王堂にいらっしゃるのは、過去も現在も未来をも救ってくれる仏たち。蔵王権現の正式の名前「金剛蔵王権現」の「金剛」がなによりも固くて壊れることのないものを意味するように、蔵王権現は完璧な強さで私たちのすべてを隙間なく守ってくれる。その右手に持つ三鈷杵(さんこしょ)は、密教の法具の一つで、魔を打ち砕くもの。それは外の魔はもちろん、私たちの心の中の魔にも容赦はない。蔵王堂中尊の左手は握り拳だが、多くの蔵王権現像の左手は二本の指を伸ばした「刀印」を結んでおり、情欲や煩悩を断ちきるという意味がある。高く上げられた足は、魔を踏み砕くため。そして蔵王権現のからだの青──それは蔵王権現の大慈悲を表しているというが、もうひとつ、たたなづく青垣、大和の色、吉野の色。蔵王堂の蔵王権現たちを見上げると、外の光を受け、足もとからお顔の額まで、青のグラデーションを描く。それは明け方の吉野山の奥行きを目前に見上げるかのようだ。吉野の大自然から生まれた蔵王権現は、そのままその色をまとって、仏の色である「金」の装飾品を身につけ、仏は自然、自然は仏であることを教えてくれる。よく見れば、真ん中の蔵王権現の衣には龍の姿が描かれる。伝承では蔵王権現が山頂の岩を割って沸出し、最初に降り立った場所は、今の山上ヶ岳の大峯山寺の内々陣「龍の口」と言われる。それは龍穴という龍のすみかと考えられ、そこから生まれた蔵王権現は水と豊穣の神、龍神のあらわれと言われる。吉野から山上ヶ岳にいたる金峯山が龍そのものと言われることに深い関わりがあるのだろう。夜の蔵王堂から見える山並みは、山ひだも見えず、黒い稜線だけが浮かび上がる。そのうねる曲線はまさに龍の寝そべる姿だ。自然を司る蔵王権現は、時には雨を降らせる龍となって金峯山をとっぷりと濡らし、雲を生み、霧を吐き、川をつくる。だからいにしえの人々は蔵王権現の吐き出した水気に浄めてもらおうと、奥へ奥へと入り込んでいったのだろう。
お参りのご利益が早速あらわれたのか・・・吉野山郵便局の赤丸ポストに出会うことができた。