竹内街道(29)
「赤丸ポスト」探しも佳境に・・・
地図を確認しながら・・・
やっと見つけた時の感動は、興味のない人にはわからないとは思いますが、とにかくうれしいのです。
最後の一つが・・・本当に苦労しました。地図のイメージと現実の落差はとてつもなく大きいのです。
もう夕方近くにまでなりました。近所のおじさんが「ポストを撮ったってくれてるんやなあ・・・」と、目を細め見守ってくださいました。
これで、私にとっての「竹内街道」は完了するわけですが、この最後のポストが大きな贈り物を届けてくれました。
根成柿地区の近くをうろうろしていたら・・・
「役行者」を調べなあかんなあと思っていたわけですが、なんと生誕地にたどりついてしまいました。
■捨篠神社(弁天神社)大和高田市奥田
創建の由緒は不明。弁天様と役行者との係わりは深いようである。箕面の滝での修行中に弁天様が行者を守っていた、名張での雨乞いの際、弁天様が行者の助力をしたなど。そもそも弁天様は池の中に鎮座される場合が多く、池の守り神や水神でもあり、捨篠池の守り神でもあったと考えられる。「捨篠」については、『先代旧事本紀 地神本紀』に、「味高彦根神 坐倭国葛上郡高鴨神云捨篠社」とあり、この高鴨神とは御所市鴨神に鎮座する高鴨神社のことであり、近年の小字名は捨篠であった。おそらくこの「捨篠」は高鴨神が先にあって、後に役行者の出自が高賀茂氏であることから捨篠の地名が伝わり、刀良売の伝承をも形成したのであろう。「捨篠」とは武装解除のこととする見解もある。高宮の跡地は篠が生え茂っており、かっての高鴨神社の付近も篠が生い茂っていたであろう。篠は吹き矢か矢としてしか役にたたないものと考えられ、これを捨てる神事は往年の鴨族の屈服の証としての祭りであった。弁天社にも篠が生えており、これを知った者が捨篠神事を伝えたのかも知れない。
■蓮取り行事
7月7日、七夕の日、大和高田市奥田で、1300年を超える歴史をもつ「蓮取り行事」がおこなわれます。室町時代から連綿とおこなわれてきた吉野山金峯山寺における「蓮華会」の一連の行事であるとともに、役行者の母・刀良売にまつわる「ひとつ目蛙」の伝承に深い関わりをもつ行事で、奈良県の無形民俗文化財に指定されています。この日、捨篠池では、蓮取り舟に乗って、古式にのっとりおごそかに蓮切りがおこなわれます。その後、善教寺に集まった修験者たちが、勇ましい法螺貝の音とともに、福田寺・行者堂から、役行者の母・刀良売の墓に蓮花を献じて供養し、続いて、捨篠池に隣接する弁天神社で、護摩法要が営まれます。こののち、修験者の一行は、吉野山金峯山寺・蔵王堂までの祠に、道中、蓮花を献じながら、蔵王堂での「蓮華会」「蛙とび行事」に参加したのち、これらの蓮花は修験者によって、大峰山頂上までの祠に供えられます。吉野山の蓮華会に欠くことのできない奥田の蓮は、今日まで地元の皆さんの努力によって大切に守られてきました。また、役行者没後1300年忌の平成12年には、蓮池公園に民話伝承碑が建立されるなど、捨篠池周辺の整備が進められました。
・・・しかも、「かえる友の会」関西支部長として、こんな大きな出会いはありません。吉野「蛙飛行事」までは認知していましたが、まさか「蓮取り行事」にまでたどり着くとは・・・です。
ということで、次回は「吉野」について掲載してみたいと思います。






