竹内街道(3) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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竹内街道(3)


私が「竹内街道」にたどり着くまでに、いくつかの道筋があります。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-さねんかん


図工美術を愛する者として、建築家・安藤忠雄の存在は大きく、機会を見つけては、その建物を訪れてきました。申し訳ないことですが、展示内容等には、あまり興味そそられることはありませんでしたが、この司馬遼太郎記念館は違いました。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-りょうま


司馬遼太郎記念館

大阪府東大阪市下小阪にある作家司馬遼太郎の業績を伝えるために自宅敷地に設立された大阪府の登録博物館。運営は、公益財団法人司馬遼太郎記念財団。6万冊に及ぶ多くの蔵書、資料、執筆に使用した書斎が晩年に使用した時のまま残されており、書斎は庭から見学することができる。その庭は司馬遼太郎が好んだ雑木林をイメージしたものである。記念館開設にあたり新たに設けられた安藤忠雄の設計による展示室には、蔵書のうち約2万冊、及び多数の自著が高さ11mの書架に納められている。他にも直筆原稿、自筆の絵、色紙、加えて、眼鏡、万年筆、バンダナなどの身の回り品も展示されている。他にホールがありNHKの映像を編集したものを上映している。施工は、錢高組が担当した。管理、運営する司馬遼太郎記念財団は1996年平成8年)11月1日に設立された。なお、偶然ではあるが展示室の建物奥のコンクリートの天井には作品にもなった坂本龍馬の肖像を思わせるシミが浮き出ている。


■21世紀に生きる君たちへ大阪書籍「小学国語」より

君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。

自分に厳しく、相手にはやさしく。

という自己を。

そして、すなおでかしこい自己を。

21世紀においては、特にそのことが重要である。

21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向へ持っていってほしいのである。


■街道をゆく

作家・司馬遼太郎が、突然の死によって幕を閉じるまで25年にわたり書き続けた壮大な思索紀行文学『街道をゆく』。「日本とは」、「日本人とは」。彼が旅をしながら求めたのは“日本人の祖形”。それは「国家・文明・民族とは何か」という大いなる問いへと紡がれていく


司馬さん曰く・・・他の作品が消えても「街道をゆく」が残る。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-しばさん

真野響子さん談

司馬さんは苦しまれたのでしょう。「自分は小説の中で義務を果たした」という。で、それから「街道をゆく」をお書きになるわけです。ですから、順番としては小説を読んでから「街道をゆく」をお読みになったほうがいいと思います。「街道をゆく」はもう突き抜けて、司馬さんは明るいのです。もともとは、両面おありの方だと思うんです。ものすごく孤独な、寂しい部分、たとえば「坂の上の雲」を書いた時は、もう人との交際を絶ってまでそこに埋没した。それはちょうど、東山魁夷さんが京都のシリーズをお描きになる時に、京都にたくさんお友達がいたけど、その交際を絶った。最近では、片岡仁左衛門さんが菅原道真をやる時には、人との交際を絶って・・・。これはお父様の13回忌の記念で歌舞伎座でなさったのですけれども。修行僧のような感じで、苦しんで、苦しんで生み出したもの。でも「街道をゆく」は、やっぱり突き抜けて明るい。私、それで行こうと思ったんですね。歴史があって、でも、その間違いを認めた時は、人間は大変明るく勇気を持てるんです。私が司馬さんにいただいたものは、教科書に載っていなかった歴史を知ることもできたこともあるけれども、もっと「個人的な生き方」です。たとえば、自分がアジアにどう対するか。ヨーロッパでもいいですよ。だって、司馬さんはオランダ紀行では、ゴッホを山ほど書いています。あれだけゲルニカを見ないとおっしゃって、ゴッホのことは大好きなんですから・・・。そういう風に自分を見つめ直す時に、大変な勇気をいただきました、インスパイアされるというのかしら。